行政マンのダウン症育児日記(14:2005/11/11記)

お皿って、なに?

 きょうは土曜日。歩と2人で1日過ごす日だ。

 午前中に洗濯と、お流しと、掃除を終えると、もうお昼時。歩の食事を準備して、自分の昼食を準備して、ようやく一息つけるのは午後1時を回る。天気がよければお出かけだけど、最近は雨が多くて、家にいることになる。こうなると、ちゃんと昼の間に遊ばせて、疲れさせないと、夜の寝つきが悪い。保育園でいかに思いっきり遊んでいるか、こんなところでもわかるというものだ。

 

 最近の2人遊びは、家じゅう使ってのかくれんぼ。

 まずは、廊下の端っこにいる歩に向かって、「おーい、あゆくーん」と呼びかけ、さっと部屋に入って身を隠す。するとこちらに気づいた歩が、キャッ、キャッ言いながら、猛烈な勢いでハイハイをしてくる。途中で立ち止まって、方向を確認したり、別の扉が気になってそちらに注意が行ってしまったときは、も一度「おーい、あゆくーん」と呼びかける。

 まもなく部屋の入り口に到着。まずは首を伸ばして、部屋の中を確認。(このタイミングでも、扉の陰に隠れながら「おーい、あゆくーん」と声をかけておく)。声の方角に、パパらしきものを発見。気勢を上げながら突進。パパの足元に到着。首を伸ばして…。「わっ、見つかっちゃった!それっ、逃げろー」(別の部屋に移動。以下繰り返し)。

 かくれんぼをしていて気づいたことが1つある。歩は顔を見てはじめて、人を認識するということ。どういうことかというと、たとえばカーテンの後ろに隠れていた場合、体の一部が出ていても、それと気づかずに探し続けることがある。また、体全体を発見しても、後ろ向きの場合は必ず前に回り込んで確認しに来る。つまり、顔を見て始めて、かくれんぼが完了するというわけだ。朝寝ている時のいたずらも、必ず顔をめがけてくるし、動物の赤ん坊が、母親の顔を、2つの眼球(2つ並んだ黒い丸)で認識するというのもわかる気がする。

 

 認識という点では、もう1つ面白いことがあった。

 歩の食事で、手づかみを解禁したことは以前も書いた。食事どきになると彼の目の前には、お皿に盛り付けられたおかゆやにんじん、ジャガイモが並ぶ。大きさは歩のつかみやすい程度に切り分けられており、気が向けば、歩はそれを口に運ぶ。もちろん気が向く時間はそう長くはなく、大半は両手で握りつぶしてみたり、皿ごと振り回してみたりと遊んでいる。

 そんな中で、歩がよくやるのが、皿からテーブルに食べ物を並べていくこと。ただ並べるだけではなくて、並べた食べ物をすぐに食器に戻したりしている。当然それも、気が向けば口に運ばれるわけだ。もちろんテーブルは毎回きれいに拭いてあるので問題ないのだが、はじめはなんだか汚い気がしてやめさせようと試みた。

 試みていたのだが、それが無理だとわかったところで、あることに気が付いた。それは歩にとって、皿もテーブルも、機能的にあまり変わりがないということだ。食べ物を置く場所、という点で両者はほとんど遜色ない。唯一液体が入るかどうかという点で差が出るだけだ。

 食事どきに展開する光景は、彼にはとても刺激的で、創作意欲(?)をはじめとした、さまざまな好奇心を満たしてくれているに違いない。彼の視点からは、食卓に上っているものはどんな風に見えるのだろうか?

 

「食べられるもの」と「食べられないもの」の2種類?

「つかんで振り回せるもの」と「つかめないもの」の2種類?

「たたくと音が出るもの」と「音が出ないもの」の2種類?

「びちゃびちゃにこぼれるもの(液体)」と「ぐちゃぐちゃに潰れるのも(個体)」の2種類?

 いずれにしても、大人のわれわれが見ているそれとは、かなり異なる世界であるのは間違いがない。なんだかちょっと楽しそうだな。

 

 とそのとき、彼の左手がパーンと器を払った。

 「ガシャーン!」ちょっと油断したほんの一瞬の出来事だったが、ガラスの食器が宙を舞った。これで午後の仕事がまた増える。「ちょっと楽しそうだな」なんて、誰だよ、そんなこと言ったの…。