行政マンのダウン症育児日記(16:2005/11/11記)

息子に与えられるもの

 

 三田紀房の「ドラゴン桜」が面白い。現在モーニングに連載中で、TBSのテレビドラマにもなったので、そちらでご覧の向きもあろうけど、マンガが断然おすすめだ。

 まったくご存じない方にあらすじを簡単に紹介すると、倒産寸前まで行った私立高校を再建すべく乗り込んだ弁護士が、1年後に東大合格者を出す!という掛け声の下、さまざまな学校改革に着手していくというストーリー。個性的なプロ教師が何人も登場し、受験のテクニックを生徒(特進クラスの2名)に伝授していく。はじめは疑心暗鬼だった生徒も、すこしずつ勉強の面白さに目覚め、東大合格を目標に勉強に打ち込んでいく、という話。

 

 勉強の方法や試験問題の分析、夏休みの使い方など、いわゆる「受験勉強」を経験した方ならば「そうそう、そんなことあったなあ」という場面が必ずあるはずで、大人でもかなり楽しめる。「スポーツに型があるように、勉強にも型がある。」とか、「世の中のルールは頭のいい奴らが作っているんだ。だから勉強しろ」なんて、ちょっと人生訓的なフレーズも登場して、おもしろい。

 

 で、ここからは自慢話。

 自分は、小学校時代は勉強がめちゃめちゃできた(えっへん!)。特に算数が大得意で「オレって天才かも」と、本気で思っているような子どもだった。しっかり受験勉強もして、当時の中高一貫私立校、しかも御三家と呼ばれる都内の私立中学に合格。中高時代はまわりが勉強できる奴ばかりだったこともあって、成績は下から数えたほうが早かったけど、同学年の半分は東大に行くという環境も手伝って、都内の国立大学に現役で入学。大学時代は塾のアルバイトにのめり込み、得意だった算数・数学を小中学生に教え、学生アルバイトとしてはそこそこの先生だったと思う。

 

 子どもにとって勉強は、よくいわれているほどイヤなものじゃない。

 算数なんてクイズみたいなものだし、英語ができれば世界への夢が広がる。ようは教え方、勉強の仕方が問題で、そもそも新しい知識に触れるのは楽しいものだ。

 そんなわけで「子どもが生まれたら勉強を教えよう。勉強の面白さを伝えよう。これだけは自身をもって与えられるぞ」と考えていたわけです。

 

 で、生まれてきたダウン症のわが息子。

 歩は、果たして勉強を「楽しい」と感じてくれるだろうか。

 そもそも学校で教わることをどのくらい理解できるのだろうか。

 自分の経験は、歩に話して意味があるのだろうか。

 と、悩むわけです。

 

 うーむ。ちょっと整理してみよう。

・自分が与えたいのは、大学合格のような結果なのか?(いや、勉強の楽しさを感じてもらいたい。)

・勉強の楽しさは、よい成績を取れないと感じられないのではないか?(たしかに他人との比較も時には必要だが、知る喜び・できる喜びは自分の中にあるもの。自分なりの感動を感じて欲しい。)

・できる喜びというが、そもそも障がい児では、できることに自ずと限界があるのではないか?(勉強するうえで努力の量は、かなり正直に結果に反映される。自らの限界を超えていく喜びは、誰にでも感じられるはず。)

 

 と、こんなところですかね。あんまり無理せず、やってみましょう。歩の嫌がることを押しつけてもしかたないわけだし。

 でもなー、勉強以外はあんまり自信ないなー。

 だって、サッカー教えられるわけでも、スキーやスノボーがプロ級というわけでもない。ピアノが弾けるわけでもないし、歌が上手いわけでも、絵が描けるわけでもない。昆虫や植物の知識が豊富なわけでもないし、日曜大工はやらないし、海外旅行が好きなわけでもない。車・電車なんかの機械類は興味ないし、パソコンが詳しいわけでもない。料理が得意というわけでも、釣りが趣味というわけでもない。農業の心得もなければ、商売を教えることもできない。

 振り返れば、振り返るほど自信なくすなぁ。

 

 子育てって、ほんとに「自分」が問われますよね。親は子に過大に期待するわけで、ときに、自分のかなわぬ夢を託しちゃったりするのですから、身勝手なものです。自分のことは棚にあげっぱなしで、子どもを叱りつけるなんて、よくあることですから。

 

 だけど、勉強はちゃんとやろうね、あ・ゆ・くん。

 結局、自分の得意分野にこだわる、教育パパなお父さんでした。