行政マンのダウン症育児日記(28:2006/10/19記)

「所詮比較の問題」が重い

 

 みなさんはオッパイについてどう思いますか?
「そりゃあ、大きいほうがいいでしょう、ないよりは」「俺はどちらかというと小さいほうが好みだなあ」「ボクは胸より先に脚に目が行っちゃうんですよねえ」。いやいや、そうじゃなくって、母乳についての話なんです。
 新生児は四六時中お腹をすかせて、3時間おき、下手すると2時間おきに泣いてオッパイを要求してくる。トータルすると眠っている時間は長いのだが、睡眠と覚醒の感覚が短く、感じとしては、寝ているか泣いているか飲んでいるかのどれかだ。で、困るのが夜だ。1日や2日、細切れに起こされるのは何とかなるけれど、これが毎晩となると大人でも消耗してくる。母乳を飲むにはかなりの吸引力が要求されるから、どうしても一回に飲む量が少なくなり、よってすぐにお腹がすいて目が覚めてしまうのだ。昼は良いけれど、夜はこれでは大変。そこで、夜だけは粉ミルクに切り替えるという選択が考えられる。
 しかしそう簡単に行かないのが育児の難しいところ。母乳には免疫をはじめ、乳児の成長に欠かせないさまざまな栄養が含まれているというし、そもそも授乳時のスキンシップそのものが重要だという識者もいる。そんなわけで大地は現在、母乳で命をつないでいる状況で、妻の頑張りには頭が下がる思いである。ただ、頭は下がるのだけれども、毎晩お付き合いするわけにもいかず、夜の寝室は、歩と自分の部屋、大地と妻の部屋の2部屋に分かれている。
 で、男親としてはこの「オッパイ問題」にはなかなか踏み込み切れないのが、はがゆいところだ。確かにオムツを換えたり、風呂に入れたり、ときには寝かしつけてみたりと、世話をすべきことはたくさんある。ただ、哺乳類の親としては、えさを与えてなんぼというところもあって、授乳できないことに一末の淋しさを覚えるわけである。時々、妻の目を盗んでミルクを作っては哺乳ビンで与えてみるのだけれども、大地はしかめ面をしてほとんど飲んでくれない。お腹がすいていないからか、吸い口の感触が違っているのか、味や温度に問題があるのか、やっぱりママじゃなきゃイヤなのか、理由は定かではないものの、こだわりもあるのだろう。しばらくはこの状況が続きそうである。

 オッパイにこだわりを見せる大地は、一方でとっても図太いところもある。
 ベビーバスを使っての入浴は、着替えやバスタオルをはじめとした細かい準備が必要なことに加え、湯上がり時の掛け湯や、手早く服・オムツを着せるため、2人体制が要求される。そこで大地の入浴時間は夜、それも歩を寝かしつけたあとになることが多い。
 ある日、歩を寝かしつけてそのままいっしょに寝てしまい、気づくと夜の10時をまわってしまった。急いで大地の風呂の準備をしたが、肝心の大地本人が眠っている。新陳代謝の激しい赤ん坊のこと、一日でも入浴をサボってしまうと、すぐに全身にあせもができてしまう。仕方がないので眠ったまま入浴させることにした。途中で目が覚めるだろうというわけだ。ところが服を脱がせ、お尻を洗って、ベビーバスに沈めてもまだ目が開かない。ガーゼで顔を拭き、石鹸をつけて頭を洗い、両手両足に進んでも様子に変化が見えない。表情はやわらかく、とても気持ちよさそうにしているのだけれど、どう見ても眠ったままなのである。結局体を裏返して背中を洗い、掛け湯をしてもらい、バスタオルにくるむところまでそのまま来てしまった。(きっと安心しきって、とっても気持ち良かったんだな。眠ったままで風呂に入れられるなんて、入浴の手際が良くなって、技術が向上したってことだろう)と、一人合点していた。
 ところが、最後にバスタオルをはずしてオムツをあてた瞬間、「ぴゅー」っとおしっこの放水が。結局大地が図太いだけだ、ということに落ち着いた一件だった。

 さて、そんな大地を風呂に入れていて思うのは、歩との体格差である。歩はお腹こそぽっこり出てはいたものの、手足は細く、肉のつき方も頼りない感じがしたものだ。対する大地は、手首足首に輪ゴムをはめたような肉付きで、蹴りも力強く、背中やお尻もブニョブニョしている。母子手帳なんかに載っている、いわゆる成長曲線(「乳児身体発育曲線」というらしい。生後3ヶ月児の94%は体重5キロから8キロの間に入るなど、成長の目安を示すグラフ)を見ると、現時点では平均より少し大きめになるようだ。目安になる帯グラフに、一度もかすりもしなかった歩とは雲泥の差である。
 そんな大地の成長のスピードに驚いたり、嬉しかったり、ほっとしたり、ちょっと圧倒されたりしながら、二人を比べてしまう自分がいる。他人と比較したり、されたりしながら生きていくのは、人間のさがのようなものだけれど、子どもたちには、いつも誰かを気にしながら生きてはほしくない。父親として、それぞれの子どもの良さに気づき、それを伸ばしてやりたいと思うのだけれど、ふと自信がなくなるときもある。
 「ダウン症児パパ」としては、そろそろ「新米」も卒業かなと思っているのだが、「二児のパパ」としてはまだまだ学ばなければならないことが多そうだ。あゆくん、だいちゃん、よろしく、である。