行政マンのダウン症育児日記(19:2006/3/22記)

ときには立ち止まって

 昔から自分は、他人のことをいつも気にしている子どもだった。

 だれか特定の子のことが気になるのではなく、まわりと自分を常に比較している、そんな子どもだった。今いる場所で、ちょっとでも他人より優位に立っていればいい、少しでもいいからアドバンテージがあればいい、それがないなら、自分より劣っているだれかを見つけて安心する、そんな思考パターンを身につけている子どもだった。

 あれは中学3年の頃だったと思う、漢文で「鶏口牛後」なる言葉を習った。「鶏口となるも、牛後となるなかれ」と読み、大きな集団で下っぱになるよりも、小さな集団でトップになったほうがよい、という意味だ。本当にそうだなあと素直に感心した。確か、まったく反対の意味の言葉も同時に習ったように思うのだが、そちらのほうの記憶は見事に抜け落ちている。

 努力をすることを避けるタイプではなかったが、まわりと比較してそこそこできていれば安心してしまう、そんな感じの子どもだった。

 

「来年の保育園のクラスのことなんだけど」、夕食の支度をしながら妻が切りだしたのは1月の中旬のことだった。「いくつか選択肢があるんだけど、どう思う?」

「りす組か、あひる組かってことか?」

 歩の通っている保育園は、0歳児はひよこ組1クラスだが、1歳児になるとりす組とあひる組に分かれる。月例の違いによるもので、この時期で11ヶ月月例が違えば、人生にして倍近くの開きが出てくる。クラスをわけるのも理にかなっているといえる。歩は4月8日生まれで、まもなく2歳になる。4月1日の時点では1歳なので、月例からいえば、当然あひる組に分けられることになる。

「あひるでもいいんだろうけど、ちょっと辛いかもな。りす組でいいんじゃないか?」

「いや、そうじゃなくて、りす組かひよこ組かの選択なのよ」

「えっ、ひよこ組?もう一度ひよこ組をやり直すってこと?」

「あゆくん、まだ歩けないじゃない?あひる組の子って、部屋中走り回ってるわけよ。踏みつぶされちゃう危険もあるんだって。りす組もね、ほとんどが歩ける子で、歩けないとお散歩なんかも大変なんだって。あゆくん自身にストレスがたまるんじゃないかって、先生もおっしゃっているわけ。だからもう少しひよこ組でどうかって」

「いくらなんでも、もう一回ひよこってほどじゃないだろ。」

「まあ一度保育園で、先生と話してみてよ。あひる組とりす組も見学するといいかもね」

「うん、わかった」

 

 で、どうしたかというと、後日、あひる・りす・ひよこと見学をした後に、担任のY先生と話しあい、結局もうしばらくひよこ組でお願いすることになった。ひよこ残留である。

 周りがあまり活動的過ぎても、できないことを見せつけられ、悔しい思いがたまるのだという。まあ、多少悔しい思いがあったほうが刺激になっていいとも思うのだが、半年程度でりす組に上がることも考えましょうとのことで、幼児クラス(現在は乳児クラス)になる頃には、みんなと一緒のクラスにしたいとも言っていただいた。ようは本人の能力にあったクラスで過ごさせよう、という結論にいたったわけだ。

 それにしても1歳にして留年とは。前途多難な人生の船出である。君の父親も、2回留年したけれど、20歳のときだったからなあ…。

 

 さてさて、今日は妻の職場で、共通の友人の結婚披露パーティ。歩もずいぶんかわいがってもらっているので、3人で出席。いい天気の土曜日で、小さな子どもたちも何人か来ていて、料理も美味しく(歩はおすしをバクバク食べている)、アットホームで素敵なパーティーになった。

 と、少し目を離したすきに、歩が他の子のおもちゃに突進していく。年下の男の子(体は彼の方が大きい)を気にもとめず、4歳のおにいちゃんのおもちゃに手を伸ばす。当然のようにひじ鉄を食って、あえなく退散。しかし、果敢にも再度挑戦。再び体で押しやられ、今度は大泣き。

 泣きやんだと思ったら、こちらに戻ってくる途中に、おじさん達に愛想を振りまいている。おじさんの目をジーっと見て、首をちょっとかしげて、ニコッ。おじさんも、つられてニコッ。

 うーん、好奇心旺盛で、積極果敢なところも、見知らぬひとに愛想を振りまいて、みんなを和ませるのも、歩のいいところ。

 ゆっくり行こうか、長い人生。立ち止まるのもよし。自分のペースを大切に、だよね。

行政マンのダウン症育児日記(18:2006/3/22記)

幸せなおやつ 

 正月明けの3連休。ポッコリできた歩と二人っきりの時間。

 ママは久しぶりの美容院にかこつけて、何やら買い物に行く様子。年末から仕事が忙しくて、ウイークデイは歩の世話をほとんどお願いしてしまっているだけに、休日は立場が弱い…。

 

 家事は午前中のうちに片付けて、今日は歩の大好きなミートソースで、パスタのお昼ご飯にしよう!作り方は簡単、たまねぎをみじん切りにして、小麦粉と一緒によく炒める。それに塩と、ケチャップ、お水を加えて、はい出来上がり!普通のパスタは食べにくいから、今日はペンネを茹でてみた。表示時間より少し多めに茹でるのがいいみたい。パパのご飯は、朝の残りのお味噌汁に、豚肉と白菜、筍、えのきだけの炒めもので、こちらも簡単に済ませちゃおう。

 大人が食べるとちょっと甘めで、もの足らないけれど、歩はこのミートソース(といっても今日は肉抜き)をほんとによく食べる。このレシピは保育園からもらってきた「豆腐のミートグラタン」から少し拝借したもので、こちらは園児の人気メニューとのこと。安心できる食材で、手作りの食事を食べられるなんて、やっぱりありがたいことだと思う。

 歩の豪快な食べっぷりを眺めていたら(もちろんお世話をしながらですよ)、もっと手作りのものを食べさせたくなった。お菓子でも作ってみようかな、なんて。

 

 お昼ご飯を終えて、服を着替えて、和室で追いかけっこをひとしきり。いつもの追いかけっこに、ちょっと変化をつけて、部屋の真中に布団でお山を作ってみる。そのまわりを、歩の移動手段にあわせて、二人とも、はいはいでグルグル、グルグル。

 ちょっとお尻を見せてゆっくり逃げたり、息を潜めて待ち伏せしたり。最後はお山を崩して、布団の中にかくれんぼ。キャッ、キャッいって、全身運動をしたその後は、ちょっとのだっこであっという間にお昼寝でした。

 

 さてさて、歩が眠ったところで、お菓子作りの開始だ。単なるあまーいお菓子じゃつまらないので、この際、歩睦の嫌いなものも混ぜちゃうことにした。そこで、最近とんと口にしなくなった、にんじんを使ったにんじん蒸しパンに決定。薄力粉とベーキングパウダーを振るいにかけておいて、卵と砂糖と水に、すりおろしたにんじんを加える。これらをしっかり混ぜ合わせて、サツマイモとりんごの角切りを入れ、型に流し込んで、蒸し器で待つこと40分。

 いい感じに蒸しあがったところで、歩もお目覚めだ。

 

 で、歩は蒸しパンをちゃんと食べたかって?

 もちろん。それは、それはたくさん食べたわけで、どのくらい食べたかというと、あんまり食べ過ぎて、夕飯をほとんど食べずに、そのまま寝ちゃったくらいだったのだから(休みの日なので、まあ、それもありかな)。

 それにしても、自分が作ったものを、おいしそうに他人が食べてくれるのは嬉しいものだ。ましてやそれがわが子ならば、何事にも勝る幸せな瞬間というもの。子育てに一生懸命になる主婦の気持ちが分かる気もしてくる。これだけ喜んでくれるのならば、ひと手間、ふた手間かけても報われるというもの。だいたい料理なんて、レシピどおりにやればそんなに大きく失敗することはない。時間と、余裕と、ちょっとの慣れさえあれば、OK。

 

 世のお父さん方、たまには子どものために台所に立つのもいいのです。普段料理をしないお父さんだからこそ、いつものお母さんの味とは違った美味しさがあるはず。なあに、ちょっと失敗するぐらいでちょうどいいんです。それも含めて、味付けのうちですから。

 ひと味違う休日の過ごし方、いかがですか?

行政マンのダウン症育児日記(17:2006/1/16記)

親は子どもを、どこまで守れるか

 「助かる命置き去り許せぬ ひき逃げ事件5年で2.3倍に」「遺族の会、厳罰化求め署名活動」。こんな見出しの新聞記事を目にしたのは、昨年末のことだ。飲酒運転の罰金が30万円に増額されて、年間の死亡事故が劇的に減ったというニュースが記憶に新しかっただけに、ひき逃げ犯の増加は少々驚きだった。

 記事によれば、2003年のひき逃げ事件は1万9,960件で、99年の8,781件から約2.3倍に増えているとのこと。この間、2001年に危険運転致死傷罪が新設され、飲酒運転の罰金30万円だけでなく、最高懲役が20年となった。一方で、ひき逃げは、道路交通法上の「救護義務違反」および「報告義務違反」にしかあたらず、業務上過失致死罪と合わせても、最高で7年6ヶ月の懲役にしかならない。

 事故を起こしたドライバーが、衝突後すぐに車を止めて被害者の救護を行っていれば助かったかもしれない、という遺族の嘆きを耳にするに付け、あまりの理不尽さに他人事ではないなと思う。

 

 自分たち夫婦にとって、子どもの死はそんなに遠い世界の出来事ではない。

 手術の話をお読みになっている方はご存知のとおり、歩は生後4ヶ月にして大きな試練を1つ乗り越えた。ただその一方で、病院で知り合ったダウン症児の中には、手術も難しい心臓病を抱えた子どもが何人もいて、そのうちの2人は既に亡くなっている。そんな子どもたちと、歩はベットを並べ、ときに同じ写真に納まった。

 亡くなった子どもたちの訃報に接すると、歩の生命力の強さを改めて感じ、そして同時に生きることの不思議さを思う。「ちょっと間違えれば…。いや、いまだって…」と、ふとした拍子に不安に駆られる自分がいる。歩の寝顔を眺めながら、落ち着いた息遣いと知りながら、それでも、指先を歩の鼻に近づけ、呼吸を確かめて安心する自分がいる。

 

 病気を乗り越えて、日に日に体力も付け、丈夫になって行く歩の様子は、正直頼もしいと思う。そしてこれからは、社会に出て行く歩に、危険も含めていろいろなことを教えていかなければならないとも思う。

 自分で歩けるようになったら(まだ立てもしないのだから、かなり先のことなのですが)、まずは自動車の怖さを伝えよう。いきなり車道に飛び出すのがどれだけ危険なことなのかを教えよう。

 独りで出歩けるようになったら(それこそ、ずーと先のことなのですが)、知らない人について行ってはいけないと覚えさせよう。嫌なことをされたら、大声を出しても助けを求めるように教え込もう。

 

 ゆっくりかもしれないけれど、子どもは確実に成長していく。

 いつまでも親の目の届くところにだけおいておくことはできない。どんなに学校の行き帰りが不安でも、常に親が送り迎えするのはどだい無理だ。

 歩が病気を乗り越えることで、自らの生きる力を証明して見せたように、危ないこと、危険な場所は、自分で遠ざけることができるようになってほしい。親がしてやれることは、そのサポートでしかないのだろう。そのための力をつける、その手伝いをすることぐらいなのだろう。

 勢い過保護になってしまう障害児の親だからこそ、このことは肝に銘じておきたいと思う。

 

 で、冒頭のひき逃げ厳罰化の話に戻るのだけれど、これってやっぱりどう考えても法律の整備が遅れているとしか思えない。果たしてこれが、親ができるサポートなのかどうかはわからないけれど、とりあえず署名に協力することにした。だって、飲酒運転の証拠隠滅のためにドライバーが逃走して、助かるはずの子どもの命が失われたとしたら、やりきれないでしょう?

 

 ご協力いただける方は、下記URL、「全国交通事故遺族の会」のHPにアクセスしてみてください。

http://www.kik-izoku.com/syomei%20undou.htm

 

行政マンのダウン症育児日記(16:2005/11/11記)

息子に与えられるもの

 

 三田紀房の「ドラゴン桜」が面白い。現在モーニングに連載中で、TBSのテレビドラマにもなったので、そちらでご覧の向きもあろうけど、マンガが断然おすすめだ。

 まったくご存じない方にあらすじを簡単に紹介すると、倒産寸前まで行った私立高校を再建すべく乗り込んだ弁護士が、1年後に東大合格者を出す!という掛け声の下、さまざまな学校改革に着手していくというストーリー。個性的なプロ教師が何人も登場し、受験のテクニックを生徒(特進クラスの2名)に伝授していく。はじめは疑心暗鬼だった生徒も、すこしずつ勉強の面白さに目覚め、東大合格を目標に勉強に打ち込んでいく、という話。

 

 勉強の方法や試験問題の分析、夏休みの使い方など、いわゆる「受験勉強」を経験した方ならば「そうそう、そんなことあったなあ」という場面が必ずあるはずで、大人でもかなり楽しめる。「スポーツに型があるように、勉強にも型がある。」とか、「世の中のルールは頭のいい奴らが作っているんだ。だから勉強しろ」なんて、ちょっと人生訓的なフレーズも登場して、おもしろい。

 

 で、ここからは自慢話。

 自分は、小学校時代は勉強がめちゃめちゃできた(えっへん!)。特に算数が大得意で「オレって天才かも」と、本気で思っているような子どもだった。しっかり受験勉強もして、当時の中高一貫私立校、しかも御三家と呼ばれる都内の私立中学に合格。中高時代はまわりが勉強できる奴ばかりだったこともあって、成績は下から数えたほうが早かったけど、同学年の半分は東大に行くという環境も手伝って、都内の国立大学に現役で入学。大学時代は塾のアルバイトにのめり込み、得意だった算数・数学を小中学生に教え、学生アルバイトとしてはそこそこの先生だったと思う。

 

 子どもにとって勉強は、よくいわれているほどイヤなものじゃない。

 算数なんてクイズみたいなものだし、英語ができれば世界への夢が広がる。ようは教え方、勉強の仕方が問題で、そもそも新しい知識に触れるのは楽しいものだ。

 そんなわけで「子どもが生まれたら勉強を教えよう。勉強の面白さを伝えよう。これだけは自身をもって与えられるぞ」と考えていたわけです。

 

 で、生まれてきたダウン症のわが息子。

 歩は、果たして勉強を「楽しい」と感じてくれるだろうか。

 そもそも学校で教わることをどのくらい理解できるのだろうか。

 自分の経験は、歩に話して意味があるのだろうか。

 と、悩むわけです。

 

 うーむ。ちょっと整理してみよう。

・自分が与えたいのは、大学合格のような結果なのか?(いや、勉強の楽しさを感じてもらいたい。)

・勉強の楽しさは、よい成績を取れないと感じられないのではないか?(たしかに他人との比較も時には必要だが、知る喜び・できる喜びは自分の中にあるもの。自分なりの感動を感じて欲しい。)

・できる喜びというが、そもそも障がい児では、できることに自ずと限界があるのではないか?(勉強するうえで努力の量は、かなり正直に結果に反映される。自らの限界を超えていく喜びは、誰にでも感じられるはず。)

 

 と、こんなところですかね。あんまり無理せず、やってみましょう。歩の嫌がることを押しつけてもしかたないわけだし。

 でもなー、勉強以外はあんまり自信ないなー。

 だって、サッカー教えられるわけでも、スキーやスノボーがプロ級というわけでもない。ピアノが弾けるわけでもないし、歌が上手いわけでも、絵が描けるわけでもない。昆虫や植物の知識が豊富なわけでもないし、日曜大工はやらないし、海外旅行が好きなわけでもない。車・電車なんかの機械類は興味ないし、パソコンが詳しいわけでもない。料理が得意というわけでも、釣りが趣味というわけでもない。農業の心得もなければ、商売を教えることもできない。

 振り返れば、振り返るほど自信なくすなぁ。

 

 子育てって、ほんとに「自分」が問われますよね。親は子に過大に期待するわけで、ときに、自分のかなわぬ夢を託しちゃったりするのですから、身勝手なものです。自分のことは棚にあげっぱなしで、子どもを叱りつけるなんて、よくあることですから。

 

 だけど、勉強はちゃんとやろうね、あ・ゆ・くん。

 結局、自分の得意分野にこだわる、教育パパなお父さんでした。

 

行政マンのダウン症育児日記(15:2005/11/11記)

パパと2人はかわいそう?

 

  天気のいい日曜日、3人でバラ園に出かけた。

 向ヶ丘遊園が廃園になったのは有名だけど、中にあったバラ園は残っていたって、みなさんご存知でしたか?何でも小田急と行政、地元住民が話し合って、バラ園を存続させ、春と秋の年2回一般に無料開放をすることになったのだそうだ。手入れだけでも大変だろうに、関係者の苦労がしのばれるというものです。

  さてさて、その日は久しぶりの快晴で、日差しが強く、10月後半にしては暑いぐらいの陽気で、これが後に失敗の原因となった。

 それはあとに話すとして、はじめて行ったバラ園は、色とりどりの珍しいバラが咲いていて、芝生には家族連れが大勢いた。われわれ3人も持参したレジャーシートに座ってお弁当。歩は芝生に転がしてみたものの、芝が痛いのか一風変わったポーズで写真に納まった。

 自転車による、いわゆるお出かけは、初めてのことで、歩はちょっとご機嫌斜めだったけど、まあこんなものかなと話しながら帰途に着いた。

 

 事態は夜に急展開を見せる。

 帰宅後あんまり元気がない歩は、飲んだミルクも派手に戻し、明らかにぐったり。強い日差しが悪かったのか、自転車で長く揺られたせいか、いずれにしても明日は病院に行くことになりそうだ。朝はあんなに元気だったのに…。体調を崩すのはいつも日曜日だなあ。

 

 で、翌日。

 妻がどうしても休めないというので、久しぶりに看病の役が回ってくる。職場に電話をかけ、身の回りの準備をしたら、タクシーを呼ぶ。その間も歩は布団に寝転んで、寝返りすら打たない。病院に着くと、かかりつけの医者が回診日ではないとのこと。別の医者をお願いして待合室でしばし待つ。

 小児科の待合室は、子ども母親が多い。当然といえば当然なんだろうけど、父親は、母親にくっついてきているのがチラホラ見える程度で、父親だけで子どもを連れているパターンは見当たらない。待合室はカーテンに仕切られていて、隣がなんと授乳室。機能的といえば機能的だけど、なんだか肩身が狭い。

 

 そうこうしているうちに診察室に呼ばれて、問診を受ける。症状を話し、脱水があるために点滴を打つことになる。別の部屋に移り点滴開始。2時間程度かかるとのこと。ついでに血液検査も受ける。

 しばらくして検査の結果も出て、とりあえず入院は免れる。ただし明日も受診することに。薬を1日分だけもらう。タクシーで帰宅。

 

 それにしても小児科は本当に大変だ。子どもはどこが痛いとか、なにが辛いとか言わない。ただ泣くだけで、もっとひどくなると、ぐったりしてくる。なにを食べ、どんな便をして、状態はどうか、熱や咳はあるかなどなど。事細かに親が伝える必要がある。もちろん検査をすればわかることもあるが、本人の意思表示が言語を介して行われないわけで、それを読み取るスキルが要求される。

 

 まあでも、今日はいろいろと助かったこともあった。

 看護士さんはかなり気を遣ってくれたし、薬局では薬剤師さんがカウンターから出てきて親切に薬の説明をしてくれた。帰りのタクシーの運転手さんは、歩が咳き込んで戻しそうになっているのを見て、親身になって心配してくれ、子育ての苦労話なんかもしたっけ。

 

 夕食を食べながら、そんなことを妻と話していると、

「もしかして、父子家庭に間違われたんじゃない?」という話になった。

 そういえば、タクシーを降りる時に運転手さんが「頑張ってな」って言ってたっけ。あれは病気で辛そうな歩にじゃなくて、子育てで苦労している自分に対しての言葉だったのか?だとすると、なんだか複雑だ。

 

 彼がこの文章を読んでいる可能性は極めて低いけど、ここは1つ説明しておく必要があるな。

「タクシーの運転手さんへ

 わが家は、妻と自分と歩の3人、仲良くやっています。2人とも仕事のやりくりは大変だけれども、支えあいながら何とかやっています。今日はたまたま、自分が付き添っただけで、別に父子家庭ではありませんよ。ましてや妻はまだ生きていていて、死に別れたわけでも、不仲なわけでもありませんから、そこのところ、くれぐれも誤解のないようにお願いします。

ちょっと大変そうに見えた若い父親より」

 

行政マンのダウン症育児日記(14:2005/11/11記)

お皿って、なに?

 きょうは土曜日。歩と2人で1日過ごす日だ。

 午前中に洗濯と、お流しと、掃除を終えると、もうお昼時。歩の食事を準備して、自分の昼食を準備して、ようやく一息つけるのは午後1時を回る。天気がよければお出かけだけど、最近は雨が多くて、家にいることになる。こうなると、ちゃんと昼の間に遊ばせて、疲れさせないと、夜の寝つきが悪い。保育園でいかに思いっきり遊んでいるか、こんなところでもわかるというものだ。

 

 最近の2人遊びは、家じゅう使ってのかくれんぼ。

 まずは、廊下の端っこにいる歩に向かって、「おーい、あゆくーん」と呼びかけ、さっと部屋に入って身を隠す。するとこちらに気づいた歩が、キャッ、キャッ言いながら、猛烈な勢いでハイハイをしてくる。途中で立ち止まって、方向を確認したり、別の扉が気になってそちらに注意が行ってしまったときは、も一度「おーい、あゆくーん」と呼びかける。

 まもなく部屋の入り口に到着。まずは首を伸ばして、部屋の中を確認。(このタイミングでも、扉の陰に隠れながら「おーい、あゆくーん」と声をかけておく)。声の方角に、パパらしきものを発見。気勢を上げながら突進。パパの足元に到着。首を伸ばして…。「わっ、見つかっちゃった!それっ、逃げろー」(別の部屋に移動。以下繰り返し)。

 かくれんぼをしていて気づいたことが1つある。歩は顔を見てはじめて、人を認識するということ。どういうことかというと、たとえばカーテンの後ろに隠れていた場合、体の一部が出ていても、それと気づかずに探し続けることがある。また、体全体を発見しても、後ろ向きの場合は必ず前に回り込んで確認しに来る。つまり、顔を見て始めて、かくれんぼが完了するというわけだ。朝寝ている時のいたずらも、必ず顔をめがけてくるし、動物の赤ん坊が、母親の顔を、2つの眼球(2つ並んだ黒い丸)で認識するというのもわかる気がする。

 

 認識という点では、もう1つ面白いことがあった。

 歩の食事で、手づかみを解禁したことは以前も書いた。食事どきになると彼の目の前には、お皿に盛り付けられたおかゆやにんじん、ジャガイモが並ぶ。大きさは歩のつかみやすい程度に切り分けられており、気が向けば、歩はそれを口に運ぶ。もちろん気が向く時間はそう長くはなく、大半は両手で握りつぶしてみたり、皿ごと振り回してみたりと遊んでいる。

 そんな中で、歩がよくやるのが、皿からテーブルに食べ物を並べていくこと。ただ並べるだけではなくて、並べた食べ物をすぐに食器に戻したりしている。当然それも、気が向けば口に運ばれるわけだ。もちろんテーブルは毎回きれいに拭いてあるので問題ないのだが、はじめはなんだか汚い気がしてやめさせようと試みた。

 試みていたのだが、それが無理だとわかったところで、あることに気が付いた。それは歩にとって、皿もテーブルも、機能的にあまり変わりがないということだ。食べ物を置く場所、という点で両者はほとんど遜色ない。唯一液体が入るかどうかという点で差が出るだけだ。

 食事どきに展開する光景は、彼にはとても刺激的で、創作意欲(?)をはじめとした、さまざまな好奇心を満たしてくれているに違いない。彼の視点からは、食卓に上っているものはどんな風に見えるのだろうか?

 

「食べられるもの」と「食べられないもの」の2種類?

「つかんで振り回せるもの」と「つかめないもの」の2種類?

「たたくと音が出るもの」と「音が出ないもの」の2種類?

「びちゃびちゃにこぼれるもの(液体)」と「ぐちゃぐちゃに潰れるのも(個体)」の2種類?

 いずれにしても、大人のわれわれが見ているそれとは、かなり異なる世界であるのは間違いがない。なんだかちょっと楽しそうだな。

 

 とそのとき、彼の左手がパーンと器を払った。

 「ガシャーン!」ちょっと油断したほんの一瞬の出来事だったが、ガラスの食器が宙を舞った。これで午後の仕事がまた増える。「ちょっと楽しそうだな」なんて、誰だよ、そんなこと言ったの…。

 

 

行政マンのダウン症育児日記(13:2005/10/27記)

運動会はしんどい!? 

 日曜日は、朝から降り続いた雨が夕方になってようやく上がり、3人でちょっと遅めの散歩に出た。

 南武線をこえて、多摩川までぶらぶら。一日中家でゆっくりしたせいか、それとも少し長めのお昼寝のせいか、歩はすこぶる機嫌がいい。ベビーカーに座り、前にある安全バーにつかまって、体を上下に揺らしている。ときおりこちらを振り返って、ニッコとする。3人でこうして歩くのは、しばらくぶりかもしれない。

 簡単な買い物を済ませて家路に着くと、妻が「コーヒーでも飲んでく?」

 

 休日の夕方のコーヒーショップは、思いの外客がいた。妻に注文を頼んで、歩と2人で席に着く。自分は椅子に、歩はベビーカーで、向かい合う。そういえば腕が重い。昨日の綱引きが今になって効いてきたようだ。一回戦で負けたのに筋肉痛なんて、かなり運動不足だな。ライオン組のあのお父さんたち、あれ、反則的な強さだよなあ…。

 

 保育園の運動会は、子どもと離れて過ごす時間が多い共働き家族にとって、大切なイベントだ。日ごろ気づかない成長を感じたり、同じ組のお友達との関係が見えたりするし、張り切っている先生方も頼もしい存在だ。今年の運動会は、「宝物を捜す冒険」というテーマが設定されていて、ストーリーに合わせた大道具を見るのもまた楽しい。

 競技のほうは最近の傾向なのか、徒競走のようにはっきり勝ち負けが決まる種目は少なく、一人一人が障害物を越えていくとか、音楽に合わせて踊るとか、みんなが楽しめるものが目に付く。歩のいるひよこ組の出し物は、「たまごのお船でぎっちらこ」。子どもと親がペアになって、音楽に合わせて踊るもので、赤ちゃん体操を思い浮かべてもらえばいい。親子のふれあい体操、といったところだ。

 年が上になるにつれて鉄棒につかまったり、跳び箱を越えたり、それなりにハードな競技も登場するものの、どの子も上手にこなしていく。両親参加型の種目も多く、子どもたちの表情はそこぬけに明るい。やっぱり体を動かすのって、基本的に楽しいのだ。

 そんなことを考えながら、ふと不安がよぎった。

 来年、再来年、歩はああいった競技に参加できるのだろうか?みんなと一緒に跳び箱を越えられるようになるのだろうか?どこにも居場所がなくて、つらい思いをしないだろうか?と。

 

 自分は小学校の6年間を通じて、体育の成績は3か4。逆上がりや2重飛びはできたけど、バスケットやサッカーでゴールを決めた記憶はほとんどない。まあ、そこそこといった感じだった。

 残念なことに小学校時代は運動ができる奴が、いやもっといえば足の速い奴が、圧倒的にもてた。そんな彼らが最も光り輝くのが、運動会。クラス対抗リレーは、各組から10名の男女が選りすぐられ、クラスの威信をかけて争そわれた。「リレーの選手」は、足が速いことの代名詞だったし、アンカーといえば、完全にヒーロー扱いだった。

 徒競走では、1等は赤いリボンがもらえた。一年中、色があせるまで、そのリボンを帽子につけていた奴の顔を今でも思い出す。当時の赤いリボンは、欲しくても手が届かないステータスだった。

 

 リレーの選手になったことは一度もなく、徒競走では2位すら取ったことがない自分が、では、運動会が嫌いだったかというとそうでもない。足の速い彼らのことを、ときに妬ましく思いながらも、クラス対抗リレーは一生懸命応援した。トラックを疾走する彼らの姿にあこがれていたのは、紛れもない事実で、そしてその活躍はやっぱりドキドキした。

 そもそも運動会って、徒競走だけじゃなかった。クラスみんなで練習したソウラン節や、夜遅くまで残って作った大きなパネルに入場門、そして何より、当日両親が見に来てくれることが気恥ずかしくも嬉しかったっけ…。

 

「コーヒー、どっちがいい?」

 気が付くと、妻がトレイをテーブルに置くところだった。

 「ありがと」と、小さいほうを選ぶ。

 「腕痛いの?筋肉痛でしょ?」

 「あたり」自然と話題は運動会に。

 「それにしても、歩にとっては試練よね」

 「そうだね。まあ、さっそく社会勉強ということで」

 「毎年応援に行こうね」

 「そうだね、みんなで行こう」

 

 歩は自分のペースで成長する。きっと同い年の子とは、少しずつ差が開いていくはずだ。そしてそれは大人になっても同じこと。違いは違いとして、差異は差異としてしっかり受け止めよう。しんどいけど、それが大事。そうして、だんだんできることが増えていく。

 成長するって、筋肉痛みたいなものかな?

 筋トレの翌日は、筋肉痛が残る。でもそれは、より丈夫な筋肉ができるための痛み。誰もが通る道。運動は楽しみながらやるもの。目標がある筋トレは、それなりに充実感がある。仲間と一緒なら、なおさらだ。歩にもきっと、いい友達ができるだろう。筋肉痛もまた楽し、だ。

 

 だけど、だけど、30過ぎての筋肉痛は、ただの運動不足。

 だって、綱引きたったの1回だけだもの。

 月曜日の仕事に響きませんように…。朝起きたら消えています様に…。

 痛みに弱いパパでした。