行政マンのダウン症育児日記(29:2006/10/19記)

見えるものと見えないもの

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 和室で大地と遊んでいると、台所から妻の声がした。「しばらく替えてないからオムツがパンパンになってると思う、おねがーい」と、同時に紙オムツが飛んできた。ふうー、しょうがないなあ、ゆっくり腰を上げようとしたそのとき、横からササッと歩がハイハイで飛び出してきた。歩はオムツを手に取ると大地の脇に座り、服に手を掛けた。どうするんだ?と見ていると、股のところのボタンをはずし、大地のオムツを替え始めるではないか。えっ、大地君のオムツを替えてくれるの?。なんともほほえましい光景ではないか。それにしても、他人の世話するくらいならば、まずは自分のオムツの心配をしろっ、と思わず突っ込みましたけどね。

 皆さんは「ニョニョカキ」をご存知だろうか。「ニョニョ柿」ではなくて、たぶん「にょにょ描き」、山形弁で「お絵描き」もしくは「落書き」という意味なんだそうだ。この夏の間に歩はにょにょ描きの楽しさを覚えた。はじめはボールペンとメモ帳を使って遊んでいたのだが、だんだん飽きたらなくなり、ダイナミックになってきた。そこでクレヨンセットと画用紙を買い与え、その後模造紙まで進んだ。歩はにょにょ描きがお気に入りのようで、脇目も振らず真剣に楽しんでいる。この歩のするにょにょ描きを見ていて、いつもは見逃していることに気づかされた。
 一つは、クレヨンを塗りつける場所が、模造紙の中に大体納まっていることだ。クレヨンも模造紙もリビングのフローリングに広げているので、別にそれをはみ出して、もしくは意図的に壁や床に塗りたくることもできるのだが、親に監視されていることもあってか、模造紙の範囲を出ることはない。もちろん目を放した隙ににょにょ描きの範囲が家具にまで及んでいることがあり、あくまでも親の目を意識している場合に限られるのかもしれない。それにしても、「クレヨンとは線を描くもの」「模造紙は自由に描いてよい場所」「そのほかのものは描いてはいけない場所」という、大雑把な理解が歩の頭の中に出来上がりつつあるようだ。それは、何かをしでかしたときに親から飛んでくる「ダメ!」「やめなさい!」の、怒気を含んだ言葉に対する彼の態度からも推し量れる。
 徐々に世の中のルールを学んでいく過程を、歩本人はどんな思いで受け止めているのだろうか。もちろん知る方法はないのだが、そんなことを想像しながら眺める歩のにょにょ描きは、ちょっと味わい深いものがある。

 二つ目は、手にしたものをすぐに口に持っていく習慣が見られなくなったこと。めったなことでは物を口に入れなくなった。実はクレヨンを探すときに、口に入れても危険度の低い「蜜蝋クレヨン」を購入したのだが、それほど心配することではなかったようだ。いつごろ口唇期を脱したのだろうか。記憶をたどっても、ここという時期は思いつかない。あんなになんでも口に持っていた時期が、懐かしくすら思えてしまう。
 子どもが何かを「できる」ようになったことは、それが全く新しい行動として目の前で展開されるため、親の記憶にも鮮明に残る。仮に自分自身の目でその瞬間を見届けることができなくても、妻や、保育園の先生からの伝え聞きによって、情報として入ってくることになる。一方、何かを「しなく」なった場合は、気づかないことが多い。それは大体において問題行動であることが多く、ふとした瞬間にその問題行動にしばらくお目にかかっていないことに気づき、子どもの成長を改めて確認することになる。そしてその「しなく」なった行動については、時に見逃される場合すらあり、たとえ気づいたとしてもかなりの時間が経過した後になるように思う。

 「しなく」なった行動といえばもう一つ、そういえば歩は、保育園を休まなくなった。4月から10月までの半年間で、体調を崩して欠席をした日は一日二日という優秀さだ。めったなことでは熱を出さなくなったし、風邪をもらってくることもめっきり減った。ちょうど一年前の同じ時期に3回も入退院を繰り返していたことを考えると、隔世の感がある。いやー、子どもって強くなるものですねえ。病院で点滴のしずくが落ちるのを見ながら、どちらかが仕事を辞めなければならないかもしれないと、真剣に悩んだ日々がウソのようだ。

 と思っていたら、ちょうど出ました。どーんと派手な、39度2分ってえ高熱が。鼻水も朝から止まらないし、遊んでいてもなんとなく元気がないなあとおでこに手を当ててみたら、熱いこと熱いこと。本人も相当つらい様子で、ここぞとばかりに抱っこして攻撃の嵐だ。今日ばかりは弟への遠慮はまったく感じられない。たまにはこんなことでもないとね、こんなときは我慢しなくてもいいぞ。思いっきり甘えてください、歩くん!きっと弟の手前、たくさん、たくさん我慢していたんだろうから!

行政マンのダウン症育児日記(28:2006/10/19記)

「所詮比較の問題」が重い

 

 みなさんはオッパイについてどう思いますか?
「そりゃあ、大きいほうがいいでしょう、ないよりは」「俺はどちらかというと小さいほうが好みだなあ」「ボクは胸より先に脚に目が行っちゃうんですよねえ」。いやいや、そうじゃなくって、母乳についての話なんです。
 新生児は四六時中お腹をすかせて、3時間おき、下手すると2時間おきに泣いてオッパイを要求してくる。トータルすると眠っている時間は長いのだが、睡眠と覚醒の感覚が短く、感じとしては、寝ているか泣いているか飲んでいるかのどれかだ。で、困るのが夜だ。1日や2日、細切れに起こされるのは何とかなるけれど、これが毎晩となると大人でも消耗してくる。母乳を飲むにはかなりの吸引力が要求されるから、どうしても一回に飲む量が少なくなり、よってすぐにお腹がすいて目が覚めてしまうのだ。昼は良いけれど、夜はこれでは大変。そこで、夜だけは粉ミルクに切り替えるという選択が考えられる。
 しかしそう簡単に行かないのが育児の難しいところ。母乳には免疫をはじめ、乳児の成長に欠かせないさまざまな栄養が含まれているというし、そもそも授乳時のスキンシップそのものが重要だという識者もいる。そんなわけで大地は現在、母乳で命をつないでいる状況で、妻の頑張りには頭が下がる思いである。ただ、頭は下がるのだけれども、毎晩お付き合いするわけにもいかず、夜の寝室は、歩と自分の部屋、大地と妻の部屋の2部屋に分かれている。
 で、男親としてはこの「オッパイ問題」にはなかなか踏み込み切れないのが、はがゆいところだ。確かにオムツを換えたり、風呂に入れたり、ときには寝かしつけてみたりと、世話をすべきことはたくさんある。ただ、哺乳類の親としては、えさを与えてなんぼというところもあって、授乳できないことに一末の淋しさを覚えるわけである。時々、妻の目を盗んでミルクを作っては哺乳ビンで与えてみるのだけれども、大地はしかめ面をしてほとんど飲んでくれない。お腹がすいていないからか、吸い口の感触が違っているのか、味や温度に問題があるのか、やっぱりママじゃなきゃイヤなのか、理由は定かではないものの、こだわりもあるのだろう。しばらくはこの状況が続きそうである。

 オッパイにこだわりを見せる大地は、一方でとっても図太いところもある。
 ベビーバスを使っての入浴は、着替えやバスタオルをはじめとした細かい準備が必要なことに加え、湯上がり時の掛け湯や、手早く服・オムツを着せるため、2人体制が要求される。そこで大地の入浴時間は夜、それも歩を寝かしつけたあとになることが多い。
 ある日、歩を寝かしつけてそのままいっしょに寝てしまい、気づくと夜の10時をまわってしまった。急いで大地の風呂の準備をしたが、肝心の大地本人が眠っている。新陳代謝の激しい赤ん坊のこと、一日でも入浴をサボってしまうと、すぐに全身にあせもができてしまう。仕方がないので眠ったまま入浴させることにした。途中で目が覚めるだろうというわけだ。ところが服を脱がせ、お尻を洗って、ベビーバスに沈めてもまだ目が開かない。ガーゼで顔を拭き、石鹸をつけて頭を洗い、両手両足に進んでも様子に変化が見えない。表情はやわらかく、とても気持ちよさそうにしているのだけれど、どう見ても眠ったままなのである。結局体を裏返して背中を洗い、掛け湯をしてもらい、バスタオルにくるむところまでそのまま来てしまった。(きっと安心しきって、とっても気持ち良かったんだな。眠ったままで風呂に入れられるなんて、入浴の手際が良くなって、技術が向上したってことだろう)と、一人合点していた。
 ところが、最後にバスタオルをはずしてオムツをあてた瞬間、「ぴゅー」っとおしっこの放水が。結局大地が図太いだけだ、ということに落ち着いた一件だった。

 さて、そんな大地を風呂に入れていて思うのは、歩との体格差である。歩はお腹こそぽっこり出てはいたものの、手足は細く、肉のつき方も頼りない感じがしたものだ。対する大地は、手首足首に輪ゴムをはめたような肉付きで、蹴りも力強く、背中やお尻もブニョブニョしている。母子手帳なんかに載っている、いわゆる成長曲線(「乳児身体発育曲線」というらしい。生後3ヶ月児の94%は体重5キロから8キロの間に入るなど、成長の目安を示すグラフ)を見ると、現時点では平均より少し大きめになるようだ。目安になる帯グラフに、一度もかすりもしなかった歩とは雲泥の差である。
 そんな大地の成長のスピードに驚いたり、嬉しかったり、ほっとしたり、ちょっと圧倒されたりしながら、二人を比べてしまう自分がいる。他人と比較したり、されたりしながら生きていくのは、人間のさがのようなものだけれど、子どもたちには、いつも誰かを気にしながら生きてはほしくない。父親として、それぞれの子どもの良さに気づき、それを伸ばしてやりたいと思うのだけれど、ふと自信がなくなるときもある。
 「ダウン症児パパ」としては、そろそろ「新米」も卒業かなと思っているのだが、「二児のパパ」としてはまだまだ学ばなければならないことが多そうだ。あゆくん、だいちゃん、よろしく、である。 

 

行政マンのダウン症育児日記(27:2006/10/19記)

環境の変化で成長しました

 

 月曜日の朝、ここは川崎アゼリア地下街の、とある喫茶店。新しい週が始まって、道行く人々の様子にも活力が感じられる。9月も半ばにもなれば、夏休み気分もだいぶ薄らいでいる。まだ十分に暑いのだけれども、みんな仕事モードですねえ。時計の針は9時を回った。しかし、席を立つ気分にはとてもならない。30分遅刻も、1時間遅刻もそう変わりはしない。もうしばらくこうしていよう。歩との二人暮らしをはじめて10日が過ぎた。まだ大学生の弟が手伝いにきてくれているのでだいぶ助かっているのだが、それでもやっぱり大変だ。特にこの週末は完全に歩と二人っきりだったから、解放感も格別。何しろ、大人とのまともな会話がほとんどない二日間だったのだから。

 土曜日はドライブで練馬の実家に行きトイザラスでおもちゃを買い、日曜日は買ってきたプラレールを部屋いっぱいに広げて遊んだ。自分の幼少時代に遊んだおもちゃで、子どもといっしょに遊べるのは、子育ての醍醐味のひとつだと思う。思わず童心に帰って、歩よりパパのほうが真剣になってしまう。
 プラレールは昔からある電車のおもちゃで、プラスチックでできた青いレールの上を電池で動く列車を走らせる。レールの形はさまざまで、分岐や勾配、立体交差や駅、踏切などがあり、組み合わせ次第で自由に組み立てられる。機関車と山手線を並走させてみたり、東海道新幹線山形新幹線を立体交差させてみることもできる。あれこれ考えながらレールを組んでいると、あっという間に時間が過ぎていくというわけだ。でも、歩の楽しみ方はちょっと違っていて、出来上がった線路を片っ端から壊してみたり、レールのパーツを投げ飛ばしたりして遊んでいる。それでも線路が組みあがって、電車が勢いよく走り出すと、「おーっ」と声をあげながら電車を追いかけはじめた。うーん、やっぱりプラレールは楽しいなあ。もっとレールや電車を買い足してこようかしら。
 大地が生まれて、山形の実家で2人も赤ん坊を見るのは大変だろうということで、歩だけつれて帰ってきたけれど、ちょっと強がりが過ぎたかもしれない。「大丈夫だよ、平気平気。直(弟)も手伝ってくれるし。なんとかなるって」なんて、そのときは本当に何とかなると思っていたのだけれど…。シングルマザーって、こんな感じなのかなあ。いや、もっと、もっと、この何倍も苦労があるはずだよな。さあて、そろそろ仕事に行きますか…。

 歩は、大地が生まれるちょうど1ヶ月前に山形に行き、大地が病院から退院後1週間で川崎に帰ってきた。さらに2週間後にはママと大地が川崎に帰ってきたので、歩にとってこの夏は環境の変化の非常に激しいものになった。
 歩の周りにいる大人たちの顔ぶれもときどきで変わった。山形では、おばあちゃんといっしょに過ごす時間が格段に増え、次いで親戚のおばさん、さらには近所の保育園にもお世話になった(ママの入院期間中)。川崎に帰ってきてからは直兄ちゃん(直おじさん?)に保育園の送り迎えをしてもらい、とっても仲良くなった。そしてついに弟、大地君との4人暮らしが始まったのである。
 この夏で、歩は大きく成長した。
 意思表示がはっきりしてきて「ほしい」「やりたい」と、「イヤだ」を正確に伝えてくるようになった。そして大人の顔色を見ることを覚えた。何か気に入らないことがあると、大きな声を出して泣き真似をする。本当に泣いているのかしばらく様子を見ていると、顔を隠した両手の隙間からちらりと覗いてきたりする。大人が怒っているのも理解しているようだし、何か頼まれごとをした場合にも(気分が良ければだが)こちらの要望を聞いてくれたりもする。
 そして何より、弟の大地との関係である。ママやパパを取られてしまって淋しくないはずはないのだが、大地の頭をなぜなぜしたり、ときには抱っこさせてほしいとせがんでみたり。もちろん大地が泣き始めて、ママもパパもかまってくれないときはアピールするときもあるのだが、じっと我慢しているときもしばしばだ。きっと自分より小さな弟を、大切な家族のメンバーだとわかっているのだろう。それにしても、幸せそうにおっぱいを飲んでいる大地を見つめながら、唇を噛んでぐっとこらえている歩の表情は、とっても、とってもかわいいのです。兄はつらし。それが年長者の責任というものだ。がんばれ歩。がんばれ、お兄ちゃん!

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行政マンのダウン症育児日記(26:2006/9/5)

もうすぐ会えるね

 

  今日は本当に暑い一日でした。パパは、仕事で外回りをしていたのですが、お昼に入ったトンカツ屋で思わずビールを頼みそうになりました。そのくらい暑くて、日差しの強い、夏らしい一日でした。つい1時間前に職場を飛び出して、ママとお兄ちゃんと、そして君のいる山形行きの新幹線に乗ったところです。丸々一週間も職場を空けるのは、めったにないことなので、本当はしっかり仕事を終えてきたかったのですが、結局バタバタとあわただしく出てきてしまいました。あんまり慌てていたので来週の休暇届を出し忘れてしまい、さっき電話で職場の先輩に代わりに提出をお願いをしたところです。(上野を通過しました)

 

 ママのお腹から出てきたとき、君はどんなことを感じるのでしょうか。とっても居心地のいいママのお腹に、もう少し居られたはずなのに、無理やり外の世界に引きずり出されて、君はやっぱり怒るのでしょうね。それとも、ただただ眩しくて、息が苦しくて、とにかく大声で泣くのでしょうか。君と一番初めに対面するのは、残念ながらパパではなく、君をついさっきまでお腹の中に入れていたママになるはずです。真っ暗闇の中から、お腹の壁を見つづけてきた君は、強烈な光の中で、初めて見るママの顔をぼんやり眺めながら、どんな表情を見せてくれるのでしょうか。(大宮を出ました)

 

 君が生まれてくるこの国は、季節の移り変わりがはっきりした、自然のとても美しい国です。君が最初に体験する、夏は、四つの季節の中で最も気温が高く、太陽がさんさんと照りつけて、植物がぐんぐん成長する、そんな活力にあふれた季節です。ママが生まれたのも、君のおじいちゃんが生まれたのも、この季節です。鶴岡にいる君のおばさん(パパの妹です)の畑が、一年で一番忙しい季節でもあります。そうそう、おばさんのお腹にも、君と同級生になる予定のいとこがいるそうです。(利根川を渡っています)

 

 新幹線は関東平野をひたすら北へ、君のいる山形に向かって進んでいます。窓の外は、熱かった太陽が、いくぶんか日差しを和らげて沈んでいきます。まち並に夕日の照り返しがとてもきれいに映えます。一日が終わってほっとする時間帯で、なぜかちょっぴり寂しい気持ちになることもあって、パパが一番好きな瞬間です。君はこの国の、どんな景色の、どんな表情を気に入ってくれるのでしょうね。

 

 君には、2つ年上になるお兄ちゃんがいます。いまお兄ちゃんは、立派なお兄ちゃんになるべく、頭を坊主に刈り上げて毎日特訓をしているそうです(ホントはパパとママがお兄ちゃんを押さえつけてバリカンで坊主にしちゃいました。あんまり暴れるから、ほら虎刈りになっちゃってるでしょう)。どんな練習かというと、タオルをぬいぐるみのお腹に掛けてあげて、胸のあたりをトントンする、そう、君をお昼寝させる練習なのです。きっとお兄ちゃんは君のよき遊び相手になってくれるでしょうね。もちろん時にはいじめられることもあるでしょうが、やり返しちゃっていいのですよ。喧嘩をするのもまたよしです。パパは5人兄弟ですが、妹ばかり3人いて、ようやく弟が生まれたときは本当に嬉しかったものです。(今通過したのは宇都宮でした。外はかなり暗くなってきました)

 

 パパは君たち二人と行って見たいことや、やった見たいことがたくさんあります。キャンプで虫取りをしたり、多摩川の河川敷で模型飛行機を飛ばしたり、野球やサッカー、テニスもしたいですね。もちろん君やお兄ちゃんの行きたいこと、やりたいことも一緒にしましょう。そうそうママもできるだけ仲間に入れてあげなきゃね。君のママは健康優良児だったそうで、運動も結構得意なのです。(郡山を過ぎました。外はすっかり暗くなりました)

 

 2006年の君の生まれてくる世界は、人口が60億人を超え、毎年のように異常気象がニュースになり、戦争の絶えない、そんな世界です。君の生まれてくる世界には、男のひとがいて、女のひとがいて、年寄りがいて、子どもがいて、金持ちがいて、貧乏な人がいます。障害者がいて、外国人がいて、まじめな人も、いいかげんな人も、明るい人も、暗い人も、変わった人も、面白い人もいます(君のお兄ちゃんは障害者と呼ばれることがあります)。そして君はそんな人たちと出会い、語らい、泣いたり、笑ったり、どきどきしたり、いろんな経験をすることでしょう。ときには嫌なこともあるでしょうが、誰かが君のことを好きになってくれたり、逆に君のほうが好きになったりすることもあるでしょう。

 君にどんな人生が待ち受けているのか(そして君が選ぶのか)は、まだまったく分からないけれど、きっと素敵なことがたくさんあります。もちろん大変なことだって山ほどあるけれど、とびっきりの嬉しいことも待ち受けているのです。(気がつくともう、米沢を過ぎました)

 

 もうすぐ山形に着きます。

 新幹線を降りたら、君のママと、お兄ちゃんが、おばあちゃんの車に乗って待っています。ママのお腹なのかの君は、起きて待っているのでしょか、それとも寝ているのでしょうか。

 もうすぐ君に会えます。

 もうすぐ君に会えます。

 もうすぐ君に会えるけれど、そのときパパはどんな顔をすればいいですか?ニコニコ笑って、「ようこそ!」って言うつもりなのですが。嬉しすぎて泣いていても勘弁してください。

 だって、とびっきり嬉しいことって、そうそうあるものではないのですから。

 

 

 

行政マンのダウン症育児日記(25:2006/7/19記)

食事は育児

 7月の3連休がまもなく終わる。

 先週から続いていた暑さは、土曜日にはピークを迎え、熱中症に対するお天気キャスターのしつこいまでの注意のかいもなく、全国で数人のお年寄りが猛暑に倒れた。日曜日は昼過ぎから大荒れの天気に変わり、空が一転かき曇ったかと思うと土砂ぶりの雨になり、雷鳴とともにヒョウが降り注いだ。そして月曜日はというと、朝から続く雨で気温も下がり、洗濯物が乾かないことさえ我慢すれば、それなりに過ごしやすい一日だった。梅雨の出口が見えてきて、本格的な夏を迎える前に、暑さもちょっと一休みだ。

 

 3連休の前半は、暑さ対策もかねて、ビニールプールで遊んだ。朝からベランダに出したプールに水を張り、昼近くになったところで温度を見る。あんまり冷たいままだとよろしくないとのことで、この段階で沸かしたお湯を足す。歩はというと、お湯を沸かし始めたころから我慢できずに、プールに手を突っ込んで遊んでいる。準備ができたら、もうすでにかなり濡れているTシャツを脱がせ、ズボンを脱がせ、オムツをはずしてプールにどぼん。プラスチックのおままごとセットを入れてやると、水を汲んだり、はね散らかしたり、上から注いだり、沈めてみたり、いろんなやり方で水を堪能している。水をコップに汲んで飲みはじめたときはさすがに止めたけど、結局やめさせることはできず、歩専用のプールだし、まあいいかとほうっておいた。

 それにしてもたかだか1メートル四方のプールに、15センチの水を入れただけで、こんなに遊べるなんてうらやましい限りだ。そういえば夏のプールの水遊びって、本当に楽しかったですよね。夢中で遊ぶプールの時間は、子どもだけに流れる特別なものかも。プールから引き上げるときの歩

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は、体全体で力いっぱいの抵抗を見せ、名残惜しさを全身で表現してくれました。

 

 さて、「食品を裏側から見ると(安部司、東洋経済新報社)」が、隠れたロングセラーになっている。たまたま書店で手にとって、「食品添加物の元トップセールスマンが明かす、食品製造の舞台裏」という帯びに引かれて買ってしまったのだが、ひさびさの快作に出会えた。

 痛んで黒ずんだ野菜を薬品の桶に一晩沈めて脱色し、その後着色しなおして、食品添加物を加えて店頭に並べるパック漬物の話。廃棄寸前のクズ肉に30種類以上の「白い粉」を入れ、ソースを絡めてキャラクターで包装した人気ミートボールの話。化学調味料の配合を変えるだけで、塩、しょうゆはもちろん、とんこつをはじめとしたあらゆるスープの味が調合できる、インスタントラーメンの話。スーパーの特売に並ぶ、「みりん風」「醤油風」などの紛らわしい調味料の話など、思わずのけぞりそうなとんでもない食品業界の話題が満載で、一気に読了した。

 

 食品添加物というと、グルタミン酸ナトリウムとか、ソルビン酸カリウムとか、とかくカタカナが多くてとても覚えられる気がしないが、著者の主張は「台所に存在しない聞いたことのない添加物の入っている食品は極力避ける」というシンプルなもの。コンビニやスーパーで加工食品を買ってきて3食すますと、延べで30種類程度の添加物を摂取することになるそうで、「子どもには料理の手伝いをさせて、食事が手間のかかるものだということを体験させよう」とも言っている。ただ、食品添加物の「罪」だけでなく、「功」の部分にも言及していて(さすが元トップセールスマン)、いわゆる「○○してはいけない」本とは一線を画している。

 

 と、そんな本を読んでいたらタイミングよく、山形の農家から無農薬野菜の箱詰が届いた。実は妹が7年前から、単身、鶴岡で農業をやっている。最近ようやく畑が起動に乗ってきたとのことで、月に2回のおまかせ配送サービスをはじめた。今回は夏野菜のトマト(大中小彩り豊かに1.5kg!)などを中心に12品目・2500円で、これがなかなかに食べ切るのが大変な量。

 というわけで、朝食にはトーストにミニトマトとサンチュのサラダ、昼はトマトとバジルのパスタにズッキーニの炒めもの、夜は唐筍を水煮して筍ご飯と、丸小ナスの浅漬けと冷やしトマト、さばの塩焼きと味噌汁。とにかく箱詰野菜の大活躍となった(しかし、まだ半分も使っていない)。

 で、歩はというと、これが気まぐれで、食べたり食べなかったり。

 麺類は大好物なので、パスタはぺろりだったけど、夕飯は味噌汁にしか手をつけない。そのうちトマトに興味を示し、よく冷えていたからか、それとも味が濃くて美味しかったせいか、大玉ひとつ独りじめ。せっかく時間をかけて作った筍ご飯は見向きもしない。かと思うと、ごちそう様をして食卓を離れてから、ぱくぱく食べ始める。 

 

 まあ、「子育ては食育が基本!」なんて、大げさに構えるつもりはないけれど、あんまりわけのわからない添加物入りの食事は、なるべく避けたいと思う。自分食事にはそんなに神経質になることはないのだけれど、子どもには、なるべくと思う。

 でもね、その「なるべく」が、なかなかできないんです。だいたい普段の日は、細かいことを気にする時間がない。レンジでチン、のない生活なんて想像つかないでしょう?忙しいときは、暖めるだけで食べられる加工食品ほど、ありがたいものはないですからねえ。

 まあホント、できるところから、気張らずに、ですかね。

 

 

行政マンのダウン症育児日記(24:2006/7/13記)

療育手帳は取ったけれど

 

  画面には座った歩が映っている。

 歩の右手には携帯電話。歩は一生懸命、話をしている。ときにうなずき、ときに笑い、昔からの親友との会話を楽しむかのように、話は尽きない。なんて楽しそうな、なんていい表情なんだろう。きっとよっぽど嬉しいことでもあったのだろう…。

 と、以上は、練馬と山形のおじいちゃん、おばあちゃんに送ったビデオの一場面だ。撮影場所は自宅のリビング、歩が握っているのは電池の切れた古い携帯で、当然電波はつながっておらず、会話も通じてはいない。しかし、である。あれだけ楽しそうに、延々お話をできるのだから(もちろん「ふり」ですが)、歩はよほど携帯が好きらしい。しまいには撮影している自分のほうまで楽しくなってくる。

 だけど、あゆくん、それ、誰の真似してるの?

 

 2歳になった記念というわけでもないのだが、歩は療育手帳障害者手帳)を取得した。福祉事務所に相談に行って、療育センターでもお話を伺い、児童相談所の心理テストを受けて、ようやくもらうことができた。妻との間では使用する写真の選定で少しもめたけど、歩が口を閉じて写っている数少ない写真を使うことになった(微妙に凛々しく見える)。判定は「B2」、IQでいうと51~75で、いわゆる軽度という範疇に入る。これで国から、「あなたの子は障害児ですよ」とお墨付きをいただいたことになる。

「手帳を取った」というと、「踏ん切りがついたのね」「迷いもあったんじゃない」という言葉をかけられることがある。どういう意味かというと、知的に障害のある子を抱えた親は、障害がはっきりしてくるまで(はっきりした後もなお)、なかなか障害児という現実を受け入れることができない場合が多い。なんとなく発育が遅れているなあとか、ちょっと変だなあという漠然とした不安を感じてはいるのだが、それを確かめて、認めることに抵抗があったりする。また、医療機関めぐりをして何とか治療をできないものかとあがいてみたり(治療できないから障害なのですが)、早期教育の教室などで他の子との差を埋めようと試みたりする。その全てに意味がないとは言わないけれど、現実の壁は厳然として存在していて、そんなこんなに労力を投入するくらいなら、はやめに障害を受け入れて、その子に合った環境を用意するほうがよっぽど大切だったりする。

 もう1つある。わが子に障害があることは受け入れていて(この「受け入れる」にも、いろいろな段階があるのだけれど)、そのことを周囲にも話してはいるのだが、それでも手帳の取得に躊躇することがある。子どもに「障害児」のレッテルを貼ることをためらうのだ。「この子はたしかに障害を持っている。他の子に比べて発育も遅い。だけどわざわざ障害児であることを行政に認めてもらうほどのことでもない。別に障害児としてだけ生きていくわけじゃないんだから…」と。

 かように障害児の親の気持ちは複雑なのだけれど、わが家の場合はダウン症ということもあってか、比較的すんなり申請まで行けたように思う。そもそもダウン症は、生後まもなくの検査でほとんどが判明し、見た目にも比較的わかりやすく、親としてもかなり早い段階で心づもりを要求されるからだ。

 

 さて、そんなふうにして取った療育手帳だけれども、B2判定では受けられる制度は驚くほど少ない。まず、障害年金の対象にならない。つまり、将来的な所得の保証は受けられない。また、福祉手当の対象にならない、補装具などの給付はない、公共料金の減免、JR・飛行機等の運賃割引はない、唯一あるのは介護者用のバスカードと住民税・所得税の控除ぐらいのものだ。もちろん福祉制度のメニュー全てが必要なわけではないのだけれど、正直、ちょっと期待はずれだった。

 おりしも国では、新しく施行された障害者自立支援法の詰めの作業で大忙しだ。10月から本格的に施行されるこの法律では、働く障害者の支援が大きく打ち出されることになる。歩が大人になったら、仕事を通じて社会とつながりを持っていて欲しいと思う。また、知的障害者が働ける職場が増えていて欲しいとも思う。仕事は単に生活の糧を得る手段ではなく、仕事を通じて多くの人と触れ合い、仕事によって達成感や自信を持ち、他人から必要とされる存在としての自分を認識する。歩にもぜひ、そんな人生の豊かさを知ってもらいたい。

 自立支援法の具体的な中身はまだ見えてこないのでなんとも言えないけれど、障害者の就労支援では、これまでの「福祉」という領域を超えた施策の展開を期待したい。でも、知的障害者を雇っている民間企業の少なさ、支払われる給料の額(最も障害者雇用が進んでいるといわれているヤマト福祉財団のスワンベーカリーで月10万円。一般の福祉作業所では平均月1万円)などを考えると、仕事だけで生活をしていくのは難しそうで、やはり年金があったほうが安心できる(もっと障害が重いほうがいいのかなあ。複雑…)。

 だって一生、親が援助していくわけにはいかないでしょう?

 

 

行政マンのダウン症育児日記(20:2006/3/22記)

成長をお祝いしよう

 

  今日の夕食は、野菜たっぷり味噌汁に、黒米入りご飯、春巻と鯖のうす塩焼きに、おみ漬け。歩は味噌汁に入っているキャベツとおふが気に入ったようで、集中的に口に運んでいる。ご飯を食べる勢いもいいペースだ。

 と、はやくもお腹がいっぱいになったのか、こちらはまだ半分も食べていないのに、料理で遊び始めた。お皿の中をグチャグチャかき回す程度はまだ許容範囲だが、キャベツをつかんで床に投げ始めたところで、アウト。その時点で歩の夕飯は終了となった。

 目の前にある皿を片付けて、顔と手を拭いてやる。と、口をしっかり閉じて、うん、うん唸りはじめた。

 食卓でふんばるとは、なんて奴!いや、久しぶりの大物登場を喜ぶべきか?それにしても、こっちはまだ食ってるって言うのに…。で、こちらも食事を終えてオムツを開いてみると、小指の先ほどのものがひとつあるだけ。あれだけ大げさに力んで、こんな小さなものひとつとは、こっちも拍子抜けだ。まだまだ腹筋が弱いんですねえ。

 

 さて、次に並んでいる数字は何をあらわしているのでしょうか?

 7.2、7.3、7.6、7.1、7.2、7.5、……

 正解は、4月からの歩の月ごとの体重。そう、1歳という一般には体重が飛躍的に増える時期に、歩の体重は7キロ台をうろうろしつづけたのでした。そして2月、とうとう念願の8キロ台に突入!やったね!本当に嬉しくて、何度も体重計に乗りなおしてみる(歩一人では計れないので、歩を抱いて一緒に計り、その後自分の体重を計ってその値を引く。その間もじっとしていられないので、抑えるのがひと苦労)。確かに大台を越えている。なんと8キロに到達するのに、1年近くかかったことになる。でもいいんです。ゆっくりだけど、着実に成長しているのが分かるから。

 

 歩の最近のお気に入りは、絵本を読むこと。正確には読んでもらうことだ。誰しも懐かしい絵本の1冊や2冊はおありのことと思うが、彼にとってこの絵本がその1冊になることは間違いない。題名は「ねないこだれだ」、せなけいこ作・画、1969年に初版が出ていて、現在なんと第130刷まで来ている。

 内容の説明をする代わりに、1ページ目からそらんじてみよう。

 

 「とけいがなります ボン、ボン、ボン

  こんなじかんに おきているのは だれだ

  ふくろうにみみずく

  くろねこどらねこ

  いたずらねずみ

  それともどろぼう…

  いえ、いえ、よなかはおばけのじかん

  あれ、あれ、あれれ

  よなかにあぞぶこは おばけにおなり

  おばけになって とんでいけ

  おばけのせかいに とんでいけ」 おしまい

 

 げげーっ。全部覚えている…。一応答え合わせをしてみると、最後の2ページ分を逆に覚えていただけで、あとは完璧!われながらすごい記憶力というべきなのか…。どれだけ繰り返し読まされているかが、ご想像いただけたかと思う。

 で、なぜこんなに読まされているかというと、歩が最近覚えたあるしぐさが原因だ。絵本を読み終わると、もう1回とねだるのは子どもの常道だが、歩はまだ言葉が話せない。そこで「うん、うん」とか、「あっ、あっ」とか、言いながら絵本を押し付けてくるのだが、こちらも面倒くさくなって、適当なところでやめてしまう。

 ところが最近、保育園でこんな技を覚えてきた。

 絵本が終わるタイミングで、指を1本立てて「もう1回」と、こうくる。このしぐさがかわいいのと、まがりなりにも意思伝達手段として成立することもあって、気づくともう一度読まされているわけだ。そして終われば、指を立てて「もう1回」…。きりがないのだが、歩の「もう1回」が見たくて、何度も読んでしまうのです。ああ、エンドレス。

 

 そんな歩の成長を見越してか、2月に入り保育園から手紙が届いた。いわく「成長お祝い会のお知らせ」。なんでも、ひよこ組の仲間で、音楽に合わせて踊るのだという。さっそく両方のおじいちゃんおばあちゃんにも連絡をとり、当日のビデオも用意した。

 保育園の先生に、「ほとんど成長していないのに、参加させてもらってもいいんですか?」なんてぶつけた軽口も、結構楽しみにしていたからこそのものだった。(M先生ごめんなさい)。

 で、当日はどうだったかというと…。

 次回に続く。