行政マンのダウン症育児日記(24:2006/7/13記)

療育手帳は取ったけれど

 

  画面には座った歩が映っている。

 歩の右手には携帯電話。歩は一生懸命、話をしている。ときにうなずき、ときに笑い、昔からの親友との会話を楽しむかのように、話は尽きない。なんて楽しそうな、なんていい表情なんだろう。きっとよっぽど嬉しいことでもあったのだろう…。

 と、以上は、練馬と山形のおじいちゃん、おばあちゃんに送ったビデオの一場面だ。撮影場所は自宅のリビング、歩が握っているのは電池の切れた古い携帯で、当然電波はつながっておらず、会話も通じてはいない。しかし、である。あれだけ楽しそうに、延々お話をできるのだから(もちろん「ふり」ですが)、歩はよほど携帯が好きらしい。しまいには撮影している自分のほうまで楽しくなってくる。

 だけど、あゆくん、それ、誰の真似してるの?

 

 2歳になった記念というわけでもないのだが、歩は療育手帳障害者手帳)を取得した。福祉事務所に相談に行って、療育センターでもお話を伺い、児童相談所の心理テストを受けて、ようやくもらうことができた。妻との間では使用する写真の選定で少しもめたけど、歩が口を閉じて写っている数少ない写真を使うことになった(微妙に凛々しく見える)。判定は「B2」、IQでいうと51~75で、いわゆる軽度という範疇に入る。これで国から、「あなたの子は障害児ですよ」とお墨付きをいただいたことになる。

「手帳を取った」というと、「踏ん切りがついたのね」「迷いもあったんじゃない」という言葉をかけられることがある。どういう意味かというと、知的に障害のある子を抱えた親は、障害がはっきりしてくるまで(はっきりした後もなお)、なかなか障害児という現実を受け入れることができない場合が多い。なんとなく発育が遅れているなあとか、ちょっと変だなあという漠然とした不安を感じてはいるのだが、それを確かめて、認めることに抵抗があったりする。また、医療機関めぐりをして何とか治療をできないものかとあがいてみたり(治療できないから障害なのですが)、早期教育の教室などで他の子との差を埋めようと試みたりする。その全てに意味がないとは言わないけれど、現実の壁は厳然として存在していて、そんなこんなに労力を投入するくらいなら、はやめに障害を受け入れて、その子に合った環境を用意するほうがよっぽど大切だったりする。

 もう1つある。わが子に障害があることは受け入れていて(この「受け入れる」にも、いろいろな段階があるのだけれど)、そのことを周囲にも話してはいるのだが、それでも手帳の取得に躊躇することがある。子どもに「障害児」のレッテルを貼ることをためらうのだ。「この子はたしかに障害を持っている。他の子に比べて発育も遅い。だけどわざわざ障害児であることを行政に認めてもらうほどのことでもない。別に障害児としてだけ生きていくわけじゃないんだから…」と。

 かように障害児の親の気持ちは複雑なのだけれど、わが家の場合はダウン症ということもあってか、比較的すんなり申請まで行けたように思う。そもそもダウン症は、生後まもなくの検査でほとんどが判明し、見た目にも比較的わかりやすく、親としてもかなり早い段階で心づもりを要求されるからだ。

 

 さて、そんなふうにして取った療育手帳だけれども、B2判定では受けられる制度は驚くほど少ない。まず、障害年金の対象にならない。つまり、将来的な所得の保証は受けられない。また、福祉手当の対象にならない、補装具などの給付はない、公共料金の減免、JR・飛行機等の運賃割引はない、唯一あるのは介護者用のバスカードと住民税・所得税の控除ぐらいのものだ。もちろん福祉制度のメニュー全てが必要なわけではないのだけれど、正直、ちょっと期待はずれだった。

 おりしも国では、新しく施行された障害者自立支援法の詰めの作業で大忙しだ。10月から本格的に施行されるこの法律では、働く障害者の支援が大きく打ち出されることになる。歩が大人になったら、仕事を通じて社会とつながりを持っていて欲しいと思う。また、知的障害者が働ける職場が増えていて欲しいとも思う。仕事は単に生活の糧を得る手段ではなく、仕事を通じて多くの人と触れ合い、仕事によって達成感や自信を持ち、他人から必要とされる存在としての自分を認識する。歩にもぜひ、そんな人生の豊かさを知ってもらいたい。

 自立支援法の具体的な中身はまだ見えてこないのでなんとも言えないけれど、障害者の就労支援では、これまでの「福祉」という領域を超えた施策の展開を期待したい。でも、知的障害者を雇っている民間企業の少なさ、支払われる給料の額(最も障害者雇用が進んでいるといわれているヤマト福祉財団のスワンベーカリーで月10万円。一般の福祉作業所では平均月1万円)などを考えると、仕事だけで生活をしていくのは難しそうで、やはり年金があったほうが安心できる(もっと障害が重いほうがいいのかなあ。複雑…)。

 だって一生、親が援助していくわけにはいかないでしょう?