行政マンのダウン症育児日記(19:2006/3/22記)

ときには立ち止まって

 昔から自分は、他人のことをいつも気にしている子どもだった。

 だれか特定の子のことが気になるのではなく、まわりと自分を常に比較している、そんな子どもだった。今いる場所で、ちょっとでも他人より優位に立っていればいい、少しでもいいからアドバンテージがあればいい、それがないなら、自分より劣っているだれかを見つけて安心する、そんな思考パターンを身につけている子どもだった。

 あれは中学3年の頃だったと思う、漢文で「鶏口牛後」なる言葉を習った。「鶏口となるも、牛後となるなかれ」と読み、大きな集団で下っぱになるよりも、小さな集団でトップになったほうがよい、という意味だ。本当にそうだなあと素直に感心した。確か、まったく反対の意味の言葉も同時に習ったように思うのだが、そちらのほうの記憶は見事に抜け落ちている。

 努力をすることを避けるタイプではなかったが、まわりと比較してそこそこできていれば安心してしまう、そんな感じの子どもだった。

 

「来年の保育園のクラスのことなんだけど」、夕食の支度をしながら妻が切りだしたのは1月の中旬のことだった。「いくつか選択肢があるんだけど、どう思う?」

「りす組か、あひる組かってことか?」

 歩の通っている保育園は、0歳児はひよこ組1クラスだが、1歳児になるとりす組とあひる組に分かれる。月例の違いによるもので、この時期で11ヶ月月例が違えば、人生にして倍近くの開きが出てくる。クラスをわけるのも理にかなっているといえる。歩は4月8日生まれで、まもなく2歳になる。4月1日の時点では1歳なので、月例からいえば、当然あひる組に分けられることになる。

「あひるでもいいんだろうけど、ちょっと辛いかもな。りす組でいいんじゃないか?」

「いや、そうじゃなくて、りす組かひよこ組かの選択なのよ」

「えっ、ひよこ組?もう一度ひよこ組をやり直すってこと?」

「あゆくん、まだ歩けないじゃない?あひる組の子って、部屋中走り回ってるわけよ。踏みつぶされちゃう危険もあるんだって。りす組もね、ほとんどが歩ける子で、歩けないとお散歩なんかも大変なんだって。あゆくん自身にストレスがたまるんじゃないかって、先生もおっしゃっているわけ。だからもう少しひよこ組でどうかって」

「いくらなんでも、もう一回ひよこってほどじゃないだろ。」

「まあ一度保育園で、先生と話してみてよ。あひる組とりす組も見学するといいかもね」

「うん、わかった」

 

 で、どうしたかというと、後日、あひる・りす・ひよこと見学をした後に、担任のY先生と話しあい、結局もうしばらくひよこ組でお願いすることになった。ひよこ残留である。

 周りがあまり活動的過ぎても、できないことを見せつけられ、悔しい思いがたまるのだという。まあ、多少悔しい思いがあったほうが刺激になっていいとも思うのだが、半年程度でりす組に上がることも考えましょうとのことで、幼児クラス(現在は乳児クラス)になる頃には、みんなと一緒のクラスにしたいとも言っていただいた。ようは本人の能力にあったクラスで過ごさせよう、という結論にいたったわけだ。

 それにしても1歳にして留年とは。前途多難な人生の船出である。君の父親も、2回留年したけれど、20歳のときだったからなあ…。

 

 さてさて、今日は妻の職場で、共通の友人の結婚披露パーティ。歩もずいぶんかわいがってもらっているので、3人で出席。いい天気の土曜日で、小さな子どもたちも何人か来ていて、料理も美味しく(歩はおすしをバクバク食べている)、アットホームで素敵なパーティーになった。

 と、少し目を離したすきに、歩が他の子のおもちゃに突進していく。年下の男の子(体は彼の方が大きい)を気にもとめず、4歳のおにいちゃんのおもちゃに手を伸ばす。当然のようにひじ鉄を食って、あえなく退散。しかし、果敢にも再度挑戦。再び体で押しやられ、今度は大泣き。

 泣きやんだと思ったら、こちらに戻ってくる途中に、おじさん達に愛想を振りまいている。おじさんの目をジーっと見て、首をちょっとかしげて、ニコッ。おじさんも、つられてニコッ。

 うーん、好奇心旺盛で、積極果敢なところも、見知らぬひとに愛想を振りまいて、みんなを和ませるのも、歩のいいところ。

 ゆっくり行こうか、長い人生。立ち止まるのもよし。自分のペースを大切に、だよね。