行政マンのダウン症育児日記(8:2005/5/7記)

GWはすこし長めに

 こんなことがあった。

 

 中学に入って、自分の死について考えることが多くなった。特に理由はない。若いときにはよくありがちな、命の揺らぎとでもいうのだろう。

 ふとした瞬間に、絶体絶命の場面を想像して、そのとき自分が何を思っているのか考えた。ビルから落ちていく瞬間も、病気でベッドの上で見取られる瞬間も、凶刃に倒れる瞬間も、必ず最後の言葉は決まっている。「お母さん!」だ。

 

 子どもと母親の関係は特別だ、と言われる。

 とりわけ自分の場合は、小さな頃から体が弱く、喘息の発作で入退院を繰り返していたからなおさらそうだと思う。大学に入学する頃まで、困ったときにはよく母親の顔が思い浮かんだものだ。世に言う、マザコンというやつだ。

 

 で、ここからが少し屈折している。

 マザコンである自分を認識しながらも、そして母親に対して絶対の信頼を置きながらも、自分はそうはなりたくないと思っていた。「そう」ってどういうことかというと、母親に子どもを取られてしまうような、そんな父親になりたくなかったのだ。つまり、自分の子どもの最後の言葉は「お父さん!」であってほしいのだ。

 

 さて、話は現在に飛ぶ。

 自分の腕の中に赤ん坊がいる。

 時計の針は夜の9時を回った。いつもならばとっくに寝ている時間だ。

 ところがこの赤ん坊は、父親である自分の顔を見ては、大きな声で泣き喚いている。保育園でたっぷり昼寝をしてきたせいか、それとも虫の居所が悪いのか、全然眠る気配を見せない。かれこれ30分も寝かしつける努力を続けているというのに、泣き声はますます大きくなるばかりだ。

 

 ふと目を上げると、妻が側に立って、手を広げている。

(こちらへ、よこせということか)

 赤ん坊も妻の顔を、目で追っている。

(あっちへ行きたいということか)

 ここで渡してしまっては、負けを見とめることになる。が…。

 

 5分後、妻は勝ち誇ったように、寝室の扉から出てきて言った。

「あゆくん、やっぱり、ママがいいんだって」

(こんなはずでは…)

 

 というわけでゴールデンウイーク。

 職場には少々迷惑をかけたけど、しっかり10連休を取って、妻の実家に遊びにきた。

 くる日も、くる日も、歩と一緒。

 朝起きてから夜寝るまで、ミルクを飲ませるのも、夜寝かしつけるのも、できる限り妻には渡さない。

 保育園の送り迎えは、通勤時間の都合上、ほとんど妻にまかせっきりになる。勢い、歩と一緒に過ごす時間は妻のほうが長くなり、最近、寝かしつけるときの成功率が目に見えて下がってきているのだ(普段の日は、自分と妻が半々で受け持っている)。ゴールデンウイークで取り戻しておかないと、この先が思いやられる。

 

 今日はゴールデンウイーク最終日。

 努力の甲斐もあって、ここ数日の歩は、お父さんと寝ることに何の疑問も持っていない様子。うーん、いい傾向。つい1時間前も、自分が寝かしつけてお昼寝をさせたばかりだ。

「うぇーん、うぇーん」

 おっ、歩が目を覚ました。そろそろお腹がすいたのかな?そういえば、泣き声も、よく聞くと「おとーさん、おとーさん」って、呼ばれているような気がしてきたぞ!?