行政マンのダウン症育児日記(7:2005/6/12記)
やっぱり親子です
いつもの中華料理店で日替わりメニューを食べ終えて、時計を見ると12時35分。今から駆け込めば、午後の始業時刻までには間に合いそうだ。最近運動不足ぎみのうえに、たらふく食べた腹にはちょっときついけど、いきつけの店に急いだ。
「いらっしゃい!こちらにどうぞ。今日はどうしますか?」
「暖かくなってきたから、短かめでお願いします。まわりは刈り上げて、もみ上げは残して、前髪は立つぐらいで。それから上のほうは撥ねないように」
そう、もうお分かりですね、短い昼休みの時間を利用して散髪にきたのでした。冬も終わったし、短くさっぱりしたかったのもあるけど、もうひとつ、今日中に切りたかった理由がある。
実は昨日の夜、妻と二人で歩の髪を短く切った。歩の髪は生まれたときから比較的ふさふさで、伸びる速さも大人とほとんど変わりがない。この1年間で散髪もすでに3回をかぞえた。なかなか生えてこない子もいる中で、髪の毛の成長だけは他の子に引けを取らない。
そんな歩と、同じ髪型にすべく、短い昼休みにあわてて床屋に走ったというわけ。1歳になって、ますます「お父さん似」といわれる機会が増えた歩と、さらなる相似形を目指して。「似てる」といわれると、やっぱり嬉しいのだ。
歩と自分は、顔の上半分、特に目と眉毛が似ているといわれる。目の形や、眉の表情、額の広さなど、言われれば確かに似ているなあと思う。そしてもうひとつ、決定的に似ている点がある。
自分は寝るときに真っ暗な部屋で寝るのが好きだ。というより明るい部屋で寝ると疲れが取れない。理由は簡単。眠っているときにまぶたがうまく閉じない。以前から両親に言われていたが、妻からも指摘された。
いわく、「白目をむいて寝ている」
いわく、「眠っているのに目が閉じていなくて気持ち悪い」
で、その自分の寝顔と、歩のそれがそっくりなのだ。どんなに上まぶたを閉じようとしても、下まぶたまでの距離がなくならない。見る角度によっては、まるで起きているように見えるときもある。
親子だなあと思う。そして父親似だなあとも。
でもそんな自分だが、正直に白状すると、はじめて歩の顔を見たときは、自分たち夫婦の面影を見つけることができなかった。看護士さんに「お父さん似ですねえ」なんて言われてもピンとこなかったし、歩がダウン症だとわかってからはなおさらだった。
知的障害の子と、自分が似ているなんて言われて、少々拒絶反応もあった。
「ダウン症の子は、生まれながらに国際人。人種を超えた共通点がある」と何かの本で読んで、「確かにそうだなあ、なんとなく分かるもんなあ」と思ったものだ。
でもね、やっぱり親子なのですよ。
だんだんと似てくるのです。
目を開けて眠っている歩に向かって、思わず「息子よ…」、と語り掛けている自分がいるのです。
鼻が低かったり、口のしまりが悪かったり、ちょっと目じりが切れ上がっていたり、そんな、いわゆるダウン症っぽい顔つきも、だんだん味があるように見えてくるのです。だんだんかわいらしく、愛しく感じてくるのです。
生まれたときから親子だなんて、あれ、ウソですね。
人は、段々に親子になっていくんです。
だってさあ、生まれたばかりの赤ん坊って、あんまりかわいくないもん。
ましてや障害児だったら、素直に全部受け止めるのって、すっごく難しい。そして、そんなふうに赤ん坊をかわいく感じられない自分のことを、みんな責めるんだ。まわりがどうこうじゃなく、自分が自分を責めるんだなあ。だから辛い。
でも、そんな親も、赤ん坊と関わっていくうちに段々変わっていく。段々親らしくなっていく。それはきっと、赤ん坊がそうやって、自分たち親のことを育ててくれているのかもしれない。
親子って、不思議。
今日はいい天気、久しぶりに三人で散歩に出かけよう。
もちろん、おそろいのTシャツを着て。
あゆくんとパパは青色の、ママはベージュの、おそろいのTシャツ。
ちょっぴり気恥ずかしくて、ちょっぴり自慢したくなる。
そんな気分の、お散歩に行こう。