行政マンのダウン症育児日記(10:2005/8/22記)

小さい大きい

「ちいさい・おおきい・よわい・つよい」、さてなんでしょう?

 いや別に、クイズをやろうというわけではない。実はこれ、子育て雑誌の名前なのです。発行元はジャパンマニシスト社というマイナーな出版社で、毛利子来、山田真という小児科医2名が編集代表をつとめている。そのためか、テーマは「予防接種はなぜ安心といえるの?」「病気のみかた・医者へのかかりかた」など、子育ての悩み、医療関連が中心の丁寧なつくりになっている。

 で、何のはなしかというと、中身ではなくて、雑誌の名前(通称「ち・お」)のこと。「ちいさい・おおきい・よわい・つよい」、反対の形容詞を2組並べただけなのだが、これ、「小さい」と「大きい」、「弱い」と「強い」を価値観抜きでフラットに比べている。

「どうしても大きくなきゃいけないの?」「やっぱり強いほうがいいの?」と、語りかけているようにも思える。普通ならば、大小、強弱、の順に並べるところを、あえて逆に、しかもひらがなで表記しているところに、そんな想いを感じる。

 

 歩は今、1歳と5ヶ月になる。

 ダウン症だからか、未熟児で生まれたからか、それとも肺炎で入院して体力が落ちたからか、またはその全てが原因なのか。いずれにしても、いまだに体重が7キログラム前後でうろうろしている。

 街中で会う人から掛けられる言葉は、「かわいい赤ちゃんねえ、何ヶ月ですか?」。

 (やっぱなあ、小さいよなあ、0歳児に見えちゃうよなあ。)と思いながらも、「いやいや、もう1歳なんですよ」と返す。だけど、ちょっとショック。

 歩の通っている保育園でも、同じクラスの子どもたちは、自分でお座りができたり、つかまり立ちができたり、早い子は歩いているのに…。歩はまだハイハイをしているだけだ。

 極めつけは、この夏にアメリカから来たいとこの渉くん。まだ生まれて7ヶ月なのに、お座りどころか、つかまり立ちもできる。おもちゃの取り合いをしても、体格でも劣っている歩は、お気に入りの人形を奪われて泣き出す始末だ。渉くんが生まれたときには、歩のお古を送ってあげたのに。もう追い抜かされちゃっているのか…。

 

 そんなふうに、どうしてもほかの子と比較して、小さいこと・弱いことが気になってしまうのだが、それだけじゃあいけないよなあとも思うことがある。

 8月に入ったころだったと思うが、わが家に遊びに来た知人の帰り際に、歩がバイバイをした。たまたま手のひらを広げて左右に振っただけなのだろうが、まるでさよならの挨拶をしているようだった。両手を大きく、ブルブル左右に振るしぐさは大の得意。だからこれは親ばかなのだろうが、とにかくバイバイをしているように見えて驚いたのだ。

 それからつい先日、おやつの赤ちゃんせんべいを食べさせているときのこと。これまで食べ物を自分で食べることのなかった歩が、せんべいを握り締めて口にもっていった。離乳食を始めて以来、親がスプーンで食べさせる習慣が定着しており、歩が自分で食べ物を口に運ぶことがなかったのだが、この様子を見て、もう少し自由にさせてみようかと反省した。

 これらのことは、日常のほんの些細なことだけど、よーく見ていると、歩も確実に成長していることがわかる。あんまり「普通」を意識しすぎると、歩のよさを見落としてしまうことにもなりかねない。歩睦のスピードに寄り添って、ゆっくり一緒に過ごすことも大事だなあと感じるわけです。

 

 歩は歩。

 ほかの子はほかの子。

 歩は歩む、歩のペースで。

 ゆっくり、ゆっくり、歩のペースで。

 歩がときおり見せる、とびっきりの表情は、こう言っているのかもしれない。

(お父さん、あんまりよそ見しちゃだめだよ。ちゃんとボクのこと見ててよね)って。

 

 と、そんなことを考えながら、今日もせっせと離乳食を作る。献立は、マッシュポテトに、ナスの味噌汁、それにシラス入りのおかゆ。どのお椀も、いつも多めにご飯が並ぶ。そしてついついたくさん食べさせてしまう。(はやく大きくなあれ)、と。

 そう、やっぱり、「はやく」そして「大きく」なって欲しいんですよね。

 うーん、揺れるおやごころ。

 でもね、たまにはこうつぶやくことにしているんです。

 「ち・お」ってね。