行政マンのダウン症育児日記(5:2005/4/28記)

保育園

 4月に入り、歩は保育園への入園を果たした。

 

 それと同時に、自分のなんちゃって育休は終わり、妻ともども週5日のフルタイム勤務が始まった。

 

 そして今日は、パパのはじめてお迎えの日。

 4月に職場の異動があって、まだ新しい環境になじんでいないにもかかわらず、今日は午後から半休を取った。何しろはじめてのお迎え、妻からいろいろと指示はもらっているものの、気持ちも、体制もしっかり整える必要がある。

 入園して最初の1週間は、慣らし保育といって、昼過ぎで保育時間が終わる日が続く。今日は入園3日目なので、歩のお迎えは午後4時の予定である。午後1時には職場を出て、家に着いたのが午後2時。洗濯物を取り入れて、お風呂の掃除をして、夕飯の支度に取り掛かったところで、電話が鳴った。

「もしもし歩くんのお父様ですか。保育園なんですが、歩くんが、ぜんぜんミルクを飲まなくて…。ほかのお子さんが気になるのかお昼寝もほとんどしていないので、少し早めに迎えにいらしていただけませんか?」

「はい、わかりました。すみません、ご迷惑おかけします。3時ごろに伺いますので」

  

 1歳になるかならないかの歩を、他人の手にゆだねて両親ともにフルタイムで働くことについては、当然迷いはあった。とりわけ3歳児神話に見るように、幼児期の発育には母親の存在が欠かせないそうで、自分たちの場合も「そんなに急がなくても」といわれたこともあった。

 

 ましてや歩は障害児である。

 妻も自分も、母親は外で働くほうがいい、と以前から考えてはいたものの、歩の障害の程度によっては、どちらか一方が側にいてやる必要が生じる場合も想定した。

 しかし、幸か不幸か、手術後の経過はすこぶる順調で、医者から再三注意を受けていた健康管理のほうもうまくいき、無事公立の保育園の入園が決まった。

 

 もちろん、それでも歩が小学校に上がるまでは、どちらか片方がいつも一緒にいて発育を見守ってやるという選択もあった。歩の体や運動能力、知能の発達にはそのほうが良いのかもしれない。でもそれじゃあ、友達はできない。親がすべてを抱え込むのも大変だ。障害児だからこそ、早いうちから集団の中に入れたほうがいいのではないか。

 

 とまあそんなわけで、歩は今週から、まったく知らない大人たちと、ぎゃあぎゃあ泣き喚くばかりの赤ん坊軍団(歩もその中の一人なのだが)の中に、突然放り込まれた。

 そして先ほどの電話によれば、そんなとんでもないことを勝手に決めた両親に対し、ハンガーストライキで抗議の意思表示をしているようなのである。

 

 保育園に着き、ひよこ組みの扉を開けると、騒然とした雰囲気の中で、保育士さんの膝にちょこんと収まった歩の姿があった。

 どうやら大泣きした後のようで、ほっぺにうっすら涙の乾いた跡が見える。

 抱きかかえると、父親の顔がわかったのか、かすかな笑顔。

「ああ、やっと笑ってくれた。やっぱりパパがいいのねえ」

「どうもすみませんでした、ご迷惑おかけします」

「また明日ね、あゆくん。パパにいっぱいミルクもらうんだよ」

 

 帰り道、ベビーカーに乗せて、最近お気に入りの「いないないばー」や、「こちょこちょこちょ」でご機嫌を取ると、ようやくいつもの笑顔が出た。

 まあ、保育園で調子が出ないのも、年齢を考えれば当然のことか。

 何しろ31歳の自分が、今まさに新しい職場で、右往左往しているのだから…。

 

 それにしても、家に帰ってきてからあげたミルクの、飲むこと、飲むこと。いつもの1.5倍をぺろりと完飲した。

 そうか、そうか、そんなにお父さんのミルクはおいしいか。

 かわいいやつよのー。

 おお、よしよし。

 なんて、いい笑顔なんだ!

 ここまで必要とされるんじゃあ…。

 明日は、仕事を休んじゃおうかしら? 

行政マンのダウン症育児日記(4:2005/4/28記)

心臓の手術2

 さてさて、心臓の手術の続きを。

 

  歩の病名が「心室中隔欠損」で、左心室と右心室の間の壁(中隔)に開いた穴をふさぐ必要があった、ということは前回書いた。

  で、どんな手術を受けたかというと…、

 胸を開いて、

 心臓を止めて、

 血液を人工心肺に回して、

 その間に心臓も開いて、

 そして中隔に開いた穴をパッチ(布のようなもの)で塞ぐ、

というもの。

 

 書いているだけでもクラクラしてくるけれど、それを体重4キロにも満たない乳児に施すというのだから、とんでもない話だ。

 ちょっとでも手元がくるって、大切な血管を傷つけたらどうする?

 人工心肺が止まっちゃって、脳に酸素がいかなくなったらどうする?

 院内でウイルスに感染して、それが心臓に回ったらどうする?

 輸血した血液がもとで、別の病気になったらどうする?

 看護婦さんがミスって、点滴を間違えたらどうする?

 手術中に地震がきて、停電になったらどうする?

 どうする?どうする?どうする?…

 

 くだらない質問から、めんどくさい質問まで、主治医の先生はよく我慢して付き合ってくれたと思う。どんなに質問しても不安が完全に解消されることはないけれど、ただ、これだけ一生懸命に考えてくれて、こんなに良くしてくれる人達になら、任せてもいいかなと、最後は思えた。

 

 そして8月27日、手術の日を迎える。

 その日はとってもいい天気で、妻の実家から義母、義姉が、自分のほうは父親が付き添いに来てくれた。

 歩の手術は朝一番。

 8時過ぎには眠り薬を飲まされて、お気に入りの羊のぬいぐるみユキちゃんと一緒に、手術室の扉の向こうに消えて行った。

 

 それにしても、生まれて半年も経たない歩がこんなに大変な経験をしているのに、自分はたいしたこともしてやれない。せめて側についていて、寂しさや不安を少しでも和らげて上げたいと思った。

 

 朝一番だったけど、手術の待合室は他にも付き添いの家族がいて、どの顔も祈るように真剣そのもの。

 自分たち家族も、少しばかり世間話もしたけれど、結局考えるのは歩のこと。

 考えれば考えるほど、悪いほうに思考は向かう。

 

 上手くいくのかなあ。

 失敗したらどうしよう。

 上手くいかなかったらどうしよう。

 失敗したらどうしよう。

 

 

 そうこうしているうちに、あっという間に手術は終わった。

 

「宗片歩くんのご家族の方いらっしゃいますか」

若い看護士さんが手術室から出てきた。

「では、お父さんとお母さんだけ、手術室にお入りください」

 

 ベットの上に、歩がいた。

 全身から管が伸び、口は酸素チューブでふさがれ、手足を固定されて、歩がいた。

 なんて痛ましい…。

 でも、本当に良く頑張ったね。

 

 そのときの写真は、もちろんないのだけれど、脳裏にしっかりと焼きついている。きっといつまで経っても、歩の痛ましい姿は、鮮明な絵となって蘇ってくるのだろう。

 そう、生後たった4ヶ月しか経っていない歩が、生きる力を証明して見せてくれた、その事実とともに。

 

 生きてるって、すごいことですね。

行政マンのダウン症育児日記(3:2005/4/28記)

心臓の手術1

「あっ、あっ、あっ!」

 

 さっきから歩が「パパ遊んで!光線」を発してる。しばらく無視しているとあきらめたのか、脇にあるガラガラを思いっきり壁にたたきつけはじめた。

「ガラガラガラ…、カランコロンカラン、ガシャン!ガシャン!ガシャン!」

 ひとり遊びはいいけれど、なんてうるさいんだ!!

 

 今日は日曜日。外はすっきり快晴なのに、体調不良で午前中からリビングで横になっている。頭が痛くて、ちょっと寒気がする。風邪だよなー。

 妻はといえば、昨日に引き続き、友人の披露宴に出かけて不在。本日の予定帰宅時間は、22時。結婚式から、披露宴、2次会までのフルコースだ。

 

 こんなときでも、育児に「休日」はない。

 お腹が空けば鳴くし、眠たくなればぐずり、オムツの交換もひっきりなしだ。いつもは微笑ましく見ていられる、歩のしぐさも、今日はうるさいだけ。

 それにしても元気だ。生後11ヶ月になるけれど、発熱はまだなく、体調を崩している様子はみられない。いっそのこと風邪をうつしてやろうかしら。そうすれば、少しは静かになるかも…。

 

 そんな歩の健康を語るとき、手術のことは避けて通れない。

 生後数日で、小児科の先生から「心臓に穴が開いている。半年以内に手術が必要」と告げられ、結局、4ヵ月後の8月29日に手術をすることになる。

 病名は、心室中核欠損。

 左心室(全身にきれいな血液を送り込む部屋)と右心室(全身から戻ってきた汚い血液を肺に送り込む部屋)の間の壁に穴が開き、血が混ざってしまう病気だ。ダウン症の子に限らずわりとよくある病気で、小さな穴の場合は自然に閉じてしまうことも多いとか。歩の場合は直系が1㎝近くあり、パッチを当てて穴をふさぐ必要があった。

 

 まず自分たちが取り掛かったのが、情報収集。手当たり次第に友人知人に相談して、おおよそのあたりをつけた。

 それから最近流行の病院ランキングも参考にした。

 心臓の手術の場合、数がものをいう世界で、成否の鍵は何例手術の経験があるかにかかってくる。また、大人の心臓病と、子ども(ほとんどが乳幼児)の心臓病ではかなり性質が異なるため、子どもの手術を年間どのくらいこなしているかが重要になってくる。

 そして最後は、自分の目で確かめに行った。実際に病院に足を運び、スタッフの応対から、病棟の様子、入院のシステムなども直接話を聞いた。

 

 最終的に決めたのが、調布にある循環器専門のS病院。自分たちにとって、何より歩にとって最良の選択だと判断したからだが、それはそこ、最良の選択を求めるがゆえに、途中で揺れもした。

 手術に失敗は許されない。

 執刀医にとって、何例もあるうちの1つに過ぎなくとも、自分たちにとっての歩はたった1人の子ども。どんな小さなリスクでも、できうる限り排除し、考えられる最高の条件で手術に望みたいと願った。

 

 結果から言えば、自分たちの選択は大正解といえる。

 でも、そこにいたるまでは大変だったんです。ほんと…。

 

 というわけで以下次回に続く。

行政マンのダウン症育児日記(2:2005/3/22記)

生まれたときのこと

 「うー、うー、うー」

 

 午前10時過ぎ、歩が中空の一転を見据えながらうなり始めた。

 昨日はしてないからそろそろかなあと思っていたから、予定通りだ。こんなときは知らん振りしているに限る。

 朝食の洗い物を終わらせてリビングに戻ると、涼しい顔をして遊んでいる。お尻に顔を近づけると、いい香り。ばっちりお通じが来ている。今日はかなり粘り気があって、オムツからはみ出していない!ちょっと前までは、洋服はもちろん、コタツ布団やカーペットまで漏れたことを考えると、かなり嬉しい。この喜びは、手間を減らせるのと、歩の成長が見えることの両方かな。

 

 歩は平成16年4月8日、予定より1ヶ月早く帝王切開で生まれた。体重は1,918gの低体重児(いわゆる未熟児)で、生まれてすぐ保育器に入れられ、その後1ヶ月をNICUで過ごした。予定日より1ヶ月も早く生まれたのは、羊水が濁ってきたとかで体重が増えなくなったから。

 で、生後1週間で、まず心臓の疾患について先生から話があった。

 病名は心室中核欠損。心臓の壁に穴があいていて、心雑音が聞こえる。穴が小さい場合は、ほうっておけば塞がることもあり、割とよくある病気だそうだ。歩の場合は約直径1cmの穴で、半年以内に手術が必要とのこと。

 ある程度は予想していたが、心臓とは、ショックだった。ただ、何とかしなくちゃ、という気持ちのほうが大きかった。さっそく知人に電話をかけまくって、小児の循環器科で信頼できる病院&執刀医を探した。今思うと、このときは妙に張り切っていたのかもしれない。

 

 きつかったのは、2番目の告知だ。

 退院を間近に控えた4月終わり。「両親そろってきてください」という担当の先生の言葉に、一抹の不安を感じながら入った部屋で、自分たち夫婦の前に置かれたのは、23対の染色体が書かれた1枚の書類だった。

 「21番目の染色体が3本あります。ダウン症です」

 単刀直入に述べられたその言葉のあとでは、先生のどんな説明も頭に入らなかった。

「いわゆる知的障害ってやつ?」「ちゃんと育つのかなあ…」「はじめての子なのに…」「何でこの先生淡々としゃべってんだよ」「心臓に病気もあるんだし、いっそのこと…」「何かの間違いでしょ?」「みんなになんて伝えればいいんだ…」

 頭の中をさまざまなことが駆け巡り、あきらかに動揺していた。ふと隣を見れば、顔をこわばらせ、不安げな妻がいた。

 

 その後、気持ちが立ち直るまで、しばらく時間が必要だった。仕事中に突然、ぶわっとこみ上げてきて涙が出てきたりして、落ち着くまでに、2週間はかかった。

 その間、何をしていたかというと、とにかくダウン症に関する本を読みまくった。20冊は読んだと思う。それともうひとつ、知り合いにしゃべりまくった。親しい人には、ほとんど話した。不思議と隠そうとは思わなかった。どうせわかることだからと、積極的に話した。

 

 結果的に、これが良かった。

 話すことで気持ち的に楽になったのと、おもわぬところから励ましの言葉をたくさんもらった。全部は紹介できないけど、すごく嬉しかったのを2つだけ。

 

 1つは、役所の同期。

「子どもは社会の子だよ。一緒に育てよう」。

 これには、気持ちが軽くなった。大変かもしれないけど、助けてくれる人もたくさんいるんだなあ、と思えた。何気なさをよそおってかけてくれた言葉で、それも嬉しかった。

 

 もう1つは、自分の父親から。

 「ダウンの子は、ホントにかわいいよ。素直で、やさしい子が多いよ」

 これは、ダウン症をプラスにとらえてかけてもらった、初めての言葉だった。障害はいいこともあるのか、と少し思えた。何より前向きなのがよかった。

 

 ひとは、言葉によって助けられる。

 励ましてくれたり、悲しんでくれたり、誉めてくれたり、一緒に悩んでくれたり…。前向きも、後ろ向きも、誰かがそばにいてくれると感じられるだけで、どんなに心強いことか。

 

 そういえば誰かが言っていた。

 「親は、子に育てられるんだ」って。

 

 あゆくん、お父さんはちゃんと育っていますか?

行政マンのダウン症育児日記(1:2005/2/13記)

障害症児の子育てって‥?

 

 日曜も夜の7時を過ぎると、そろそろ明日の仕事のことが頭をよぎる。いわゆる「サザエさん症候群」だが、自分の場合はちょっと状況が複雑。なにしろ木・金・土・日と4日も休んでいるので、なにが心配って、仕事のスピードについていけるかが心配になる。とりあえず月曜の午前中は電子メールをチェックして、机の上の回覧に目を通し、先週の出来事を同僚に訊いていると、もう昼休みだ。でも一方で楽しみでもある。なぜって、「主夫業」から解放されて「公務員」にもどれるのだから…。

 

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 そう、いま自分は、生後10ヶ月になる息子と過ごすために、週休4日の「なんちゃって育休」中(正式な育児休業の制度は使わず、たまっていた有給を消化しているので、「なんちゃって育休」と自称)。自分が週の前半、月・火・水と働き、妻は後半、木・金・土の勤務。とりあえず2005年の2月、3月の期間限定だが、あんまり我慢強くない自分にとっては「主夫業」を体験するにはちょうどいい期間だと思っている。もちろん、職場の上司や同僚には大いにしわ寄せが行っているはずだが、「今しかできない!」と割り切り、迷惑を承知で甘えさせてもらっている。

 

 もうひとつ、ちょっと変わっていることがある。それは息子の障害のことだ。うちの息子はダウン症で、いわゆる発育の遅れが出る障害児。写真を見るとわかるかもしれないが、目鼻立ちに特徴があって、以前は知恵遅れ・蒙古症なんて呼ばれていたアレだ。世界的に見ても、ダウン症の人はみな顔立ちが似ていてすぐそれと分かるので、生まれながらにして国際人ともいえる(ホントかよ!?)。

 そんなわけで、ちょっと変わったこの体験を、誌面をお借りしてみなさまにお伝えするわけだが、はじめにどうしてもひとつ言っておきたいことがある。

それは、

「うちの子、かわいい!!」「すっごく、かわいい!!」(あーすっきり。)

 彼が自分に向けてくれるとびっきりの笑顔を見ていると、こんな幸せなことが世の中にあるのだろうか、と本気で思えてくる。でも、本当にかわいいんですよ。これが。

 

 子どもの将来について、大きく想像を膨らませてわくわくしたり、期待をかけたり、不安になってみたり、心配したり…。障がいをもっていない子と違って、ちょっと心配の量のほうが多いのかもしれないけれど、同じぐらい期待のほうも大きい。そんな微妙な親心を、多少の親バカを交えながら書いていければと思っている。